[a bird has no name]
割れる様な、耳を劈く様な歓声が、遠い世界での出来事の様に思えた。この瞬間だけ、世界は二人が立つ円形のフィールド、ただそれだけの様な感覚を覚える。
何故此処に居る、と唇だけで問えば、返ってくるのは口元を吊り上げた意地の悪い微笑ばかりで。担いでいたモップを肩から降ろすと、男は親指で自らの首元を指し示した。
色の白い喉に浮かぶ、深く誘い込む様な黒英石の首輪。
言葉が喉の奥に貼り付いて呼吸器官を堰き止め、瞬間呼吸を忘れた。その首輪が、自分の首を緩慢に締め続けるものと同じだと言う事を認めて、心臓を握り潰されるような感覚を覚える。衝撃と当惑と男への怒りと、恐怖。昏い色が混ざりあって濁りきった色の感情に、内面だけでなく表面までも掻き混ぜられている様だった。
「何日も帰ってこねェと思ったら、こんな所で油売ってたなんてな」
「お前――」
言葉を紡ぐ度に喉が震えるのが解る。まともに呼吸も出来ない。それでも握り締めた刀だけは取り落とさない様に、右手に力を込めた。
男の銀髪の奥で暗く煌めく瞳は、遠くて色すらも判別出来ない。いっそ自分が知るあの男でなければいいのに、と結果の解り切った期待を抱いてしまう程に。
「……なして、此処に」
今度は声に出して問うてみる。男は肩を竦め、灰銀の髪を掻き混ぜた。作業着のポケットに片手を突っ込み、面倒だ、とばかりに首を横に振る。
「見りゃ解んだろ、お前と同じだよ。……お手柔らかに頼むぜ?」
頭が惚けたまま返事も返せずにいる昇太郎を見やって、男は愉快そうに笑った。いつもの仕種で煙草を一本咥えて、火を点ける。
青みがかった黒の光を跳ね返す床に、男のブーツの音が高く響いた。相も変わらず気怠げな様子でこちらへと歩いて来る男の瞳が甘く鋭い紫であると言う事を視認し、昇太郎は眉を顰める。
「百人まで後一人、か。……最後の最後に、残念だったな」
そこで口を閉ざし、立ち止まる。銀色の眉を跳ね上げて昇太郎に目を遣ると、至極楽しそうに、しかし何処か自嘲する様に、笑った。
「――俺が相手だ、悪く思うなよ」