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オンラインノベルRPG「螺旋特急ロストレイル」の個人的ファンサイトです。リンク・アンリンクフリー。

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プロフィール
HN:
カツキ
性別:
女性
自己紹介:

ツクモガミネットに愛を捧ぐ(予定)のPL。
アクション・スプラッタ系のシナリオを好む傾向にあり。超親馬鹿。


当家の面子
鰍(カジカ):
コンダクター。私立探偵のはずだけど現状はほぼ鍵師扱い。銀細工とか飴細工が得意の兄さん。名前がコンプレックス。

歪(ヒズミ):
ツーリスト。三本の剣を携えた、盲目の門番。鋼の音を響かせて舞う様に戦う、人と同じ姿の異形。

灰燕(カイエン):
ツーリスト。白銀の焔を従える、孤高の刀匠。刀剣と鋼の色を愛し、基本人間には興味が無い。人として危険なドS。
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 ――痛い、いたい、居たい、いたい。
 憎悪と怒号と悲嘆と絶望、渦巻く負の感情の全てが、苦痛となって彼の身体を蝕む。緩慢にそれを受け入れながら、彼はただ瞳を閉じた。
 降り注ぐ漆黒の雨は、永遠に醒めぬ宵闇の様。
 足掻く為の四肢は既に奪われている。感覚はあれど、漆黒に覆い尽されて見る事すら叶わない。
 瞼を開き、銀翠の瞳を静かに巡らせて、漆黒の雨を眺める。彼に寄り添う金色の鳥が、小さく啼いた。囚われる事を知らぬ美しい魂は、漆黒の雨と漆黒の澱の中で、ただ静かに羽撃いている。
 緩やかに紡がれた唇。
 声にならなかった言葉に応える様に、鳥が一度大きく羽撃いて漆黒の向こうに飛び立っていった。

 




 春風と呼ぶには冷た過ぎる風が一陣、車も通らぬ閑散とした道を駆け抜けていく。
 青い空を一度振り仰ぎ、ミケランジェロは薄く笑うと音を立ててスプレーを振る。壁に向けて構え、塗料を噴き付けた。深い青で下塗りされたキャンバスの上に鮮やかな紫が重なり、奇妙な色合いを為していく。口元に刻まれた笑みを一層濃くし、空いた左手にもまた違うスプレーを構えた。
 シュゥウ、蛇の威嚇にも似た音を立てて、芸術の神が振るう手の軌跡通りに壁に色が乗る。惑う事無く滑らかに踊る、白い腕。長く細い脚をバネの様に撓らせ、大きなキャンバスを狭しと駆け巡る。壁に視線を向けたままバックステップを踏み、行儀よく並べられているスプレーの一本を手に取って、再び指先に力を込めた。噴き出される赤が、濃紺の闇に鮮烈な光を燈す。
 高らかに振り上げられる腕、打ち鳴らされるブーツの音。スプレーが噴出される長い音が、尾を引いて青空に溶けていく。
 やがて、音が止まって腕が降ろされた時、彼が対峙する壁には、壮大な風景が刻まれていた。
 深い宵闇の中で、炎上しゆらゆらと揺らめく都市。満ちようとする月が、それを非情に見下ろしている。まるでSF映画の1シーンの様な非現実的な光景だが、緻密に描写された炎と陰影の圧倒的な美しさは、目にする者の魂を掴んで揺さぶる様な迫力を秘めている。惨劇の中上がる悲鳴と、燃え盛る炎の熱を実際に感じられそうな、畏怖すべき景色だった。
 ブーツの踵を控えめに鳴らし、ミケランジェロは二、三歩後退した。一面に描かれた世界を見上げ、小さく微笑む。
 永遠に残り続けるものは、芸術などとは呼ばない。永遠の命を命と呼ばないのと同じように。今は乾くのを待って静かに濡れているこの絵も、日が経てば色褪せてしまう。そうなる前に、この手で消してやりたい。ミケランジェロが芸術の神でありながら、『掃除屋』安城ミゲルでもある理由の一つだった。『神』でありながら、永遠の美を否定する。それを持ち合わせている天界の者には異端と呼ばれ、それを追い求める人間達には変わり者と呼ばれた。求めるだけ無駄だと何度も諭されたし、還って来いと何度も手を伸べられた。
 ――だが、それでも。
 すっかり白と言う色を喪った軍手を、強く握り締める。
「……?」
 都市を燃やす炎が暗く揺らめいて、ミケランジェロは徐に空を振り仰いだ。
 突き抜けた様な底の無い青空が、不意に翳る。雲の気配など微塵も感じさせない天気なのに、鮮やかな青が俄かに彩度を落とした。

 ――Zwarrrrrrrrrrr……

 鼓膜を覆う高鳴りを切り裂いて、高らかな音が響く。
 聞き覚えのある鋭い啼き声に、咄嗟にミケランジェロは振り返った。眉を顰め、青の向こう側を見透かそうと紫の眼を細める。その視界の隅に、白金が映り込んだ。
 昏い青の中で輝く、一筋の金色。
 ミケランジェロは、その色を知っている。
「……昇太郎、?」
 思わず呟いた言葉に反応するように、金色がこちらを向いた。二、三度美しく羽撃き、ミケランジェロに視線を寄越した後、きびすを返して青の中へ溶け込んで行く。
「あ、おい、待ちやがれッ!」
 ――ついて来い。
 漆黒の瞳がそう言っている様に思えて、ミケランジェロはその後姿を追った。

 ベイエリア・倉庫街の端に位置する掃除屋事務所から、海沿いを走り抜ける。いやに凪いだ海が不穏な色を宿し、昏い空が雲を纏って深く輝いた。
 倉庫街の中でも一際目立つ外見のアズマ超物理研究所前を掠め、三軒ほど建物をやり過ごした先で、淡い金の羽撃きが律儀にその場に滞空し、ミケランジェロを待ち構えている。けれど、その傍らに居るべき筈の臙脂色の姿は無く、ミケランジェロは訝しげに眉を顰めた。
 『鳥』がただ一匹で居るなど珍しい。いつもお節介な程にあの男の傍に寄り添って、情深い歌声を落としている筈なのに。
「どうしたんだよ、お前? 昇太郎は――」
 ミケランジェロの問いを遮って、『鳥』が低く囀った。銀の瞳孔を持つ小さな瞳がミケランジェロを一瞥し、傍に在る赤錆色の倉庫へと飛び込んで行く。
「……相変わらず勝手な奴だ」
 その素っ気ない仕種に小さく舌打ちし、長く尾を引く金色の輝きを再び追った。
 胸元の高さまで上げられたシャッターを潜り、先に潜り込んだ筈の金色を捜す。灯りが点けられていない事を除いても倉庫内は昼間にしては薄暗く、普段から微かに発光している『鳥』を捜すだけでさえ一苦労だった。
 物ひとつ置かれていない、がらんとした空き倉庫の中程で、滞空し動きを止めている『鳥』の姿。ミケランジェロはそれを認めて、歩み寄ろうとした。
「おい、ボケっと突っ立ってんじゃねェ。こんなとこに何があるって――」
 ――ぞわり。
 入口から差し込む光すら届かない場所で、何かが這いずる音。それに気付いて、ミケランジェロは問いかけの声を途中で遮った。

 Zwarrrrrrrrrrrrrrrr!!

 『鳥』が、威嚇を込めて甲高く鋭い声で啼き叫ぶ。
 普段の彼にはない鋭さに驚き、ミケランジェロが一歩跳び退った。直後、ミケランジェロの眼前を水流にも似た何かが駆け抜ける。芸術の神の視覚を持ってして捉えきれないほどの速度で在ったはずなのに、何故か鈍重さを窺わせる動き。それは一旦身を退いて蛇の様に鎌首を擡げていたが、やがてするすると倉庫の奥深く、薄暗闇へと身を潜めていった。
 否、ただの暗闇では無い。届かぬ光が創り出した純然な影では無く、それは静かに、生き物めいた動作でおぞましく蠢いていた。
 紫の瞳を薄く細め、闇の向こうに隠れている何かを見極めようとする。しかしその『何か』は暗い昏い闇と同じ色をしているのか、幾ら眼を凝らしてもその姿ははっきりと捉えられなかった。
 時折細い触手の様な闇がミケランジェロへと伸びてきて、呆気無く振り払われては母体へと戻っていく。人間を捕食するタイプのヴィランズだろうが、それにしては弱弱しく愚鈍な動きをしている。
 『鳥』がその傍に寄り添う様に飛んで行き、初めてミケランジェロは深い黒の奥に隠されているものに目を留めた。
 闇に絡めとられる様にして、僅かに見え隠れしている臙脂色。
 酷く見慣れている癖に、いつだって眼を惹かれる、鮮やかな色。
 闇のすぐ傍でも何故か呑まれる事の無い『鳥』が、哀しげな囀りを零す。ミケランジェロには彼の言葉を解する事は出来ないが、今だけは、彼が何と呟いたのか判った気がした。
 端正だが無垢な少年を想わせるあどけなさを残した顔は、半分以上を鈍い黒に覆い隠されている。閃く白刃と同じ鋭い鋼色は、闇に取り込まれて見る事が出来ない。
 泥濘に呑まれていない方の瞳がミケランジェロを捕らえ、ふわりと和らいだ。蛍石に似た美しい翠に瞬間見惚れた後、ミケランジェロは我に返り首を振る。
「昇太郎!」
 鋭くその名を呼べば、判っている、とでも言うかのように左手を僅かに挙げてみせた。その手が不意に泥濘の中へと引っ込み、数瞬後、蠢く闇を引き千切る様にして現れた何かが、ミケランジェロへと投げ付けられる。
 反射で引っ掴んだそれは、細長く質素な、一振りの剣。
 昇太郎が普段腰に佩いている、二振りの内の片方だった。ミケランジェロは剣を掴んだまま、何を、と当惑の視線を彼へと向ける。が、先程まで開かれていたはずの翠の瞳は閉ざされ、醜悪な闇に侵食されようとしていた。
 ――欲しい、痛い、苦しい、憎い。
 闇が這いずり回る粘着質な音が、唐突にそんな言葉を伴って聴こえてくる。
「……欲しい、か」
 それに共鳴するように、何かがミケランジェロの内で強く跳ねた。咄嗟に、それを抑えつける様に左胸に手を遣る。
 恐らくは、今の自分と同じなのだろう、この闇は。底の見えない渇望に苛まれ、姿を喪って尚、何かを求め続けている哀れな存在。渇望の毒に侵食された己を無理矢理抑え込んでいる自分と、遜色無いではないか。
 自分の内面をそのまま晒している様な醜悪な闇を目の前にして、ミケランジェロは片頬だけで笑った。
「――だがな、」
 言葉を斬りながら、紡いでいく。
「俺に一番必要なものは、そこに在るんだよ。……返して貰うぜ」
 鞘から刃を抜いて、静かに構える。
 言葉に激昂したのか、鎌首を擡げた闇が、鈍重な姿からは想像もつかぬ速度でミケランジェロへと迫った。

 痛いのか、居たいのか。
 救われたいのか、巣食われたいのか。
 闇の中で反響する叫び声に耳を傾けて、昇太郎は小さく笑った。
「すまんなぁ。……お前に遣る命は持ち合わせとらんのよ」
 呟いたその言葉さえ、声に成る事はない。けれどそれは確かに届いたらしく、慟哭と憤慨に闇がその身を震わせたのを感じる。
 ――なぜ。何故、私の要求には応じてくれぬ。
「何故、か。そうじゃのぉ……」
 ――いたい、いたい、すくいたい、すくわれたい。なぜ、なぜ、私にはくれぬと言うか!
 闇が一際大きく叫び、うねりと共に昇太郎を喰らい尽さんと肥大した。圧迫されて息が詰まる。身を斬られる様な渇望の声に、耳から侵食されていく。
 闇に覆われた視界の端で、一筋の白い閃きが躍った。
 白い光が、闇の中央を引き裂いて飛び込んでくる。その隙間から捻じ込まれた白く美しい手が闇を振り払う様に、あるいは何かを探す様に泳ぎ、昇太郎へとまっすぐ伸ばされた。
「残念じゃけど、それを許してくれん奴が居るんよ」
 泥濘に纏わりつかれながら、昇太郎はその手を掴もうと左手を伸ばす。
 たとえ何処へ逃げたとしても、この手は必ず彼を追い詰め、捕らえるだろう。そんな奇妙な自信があって、昇太郎はくつりと笑った。
 伸ばしあった指先と指先が、瞬間掠る。その感触を逃さずに、白い手が昇太郎の手を強く掴んだ。
 そのまま、力任せに引き摺り上げられる。纏わりついた闇が振り解かれ、あるいは引き千切られ、怨嗟に似た醜い叫び声が上がるのを聞きながら、もう一度「すまんなぁ」と呟いた。
「……あいつが居るけぇ、俺は死ねんのじゃ」

 唐突に視界を白い光が覆い尽くし、眩さに昇太郎は目を細めた。闇から引き剥がされてたたらを踏んで倒れ込んだのを、白い手に支えられる。
「――昇太郎ッ!」
 動揺と安堵が入り混じった声が落ち、ミケランジェロが彼の両肩を強く掴んで顔を覗き込んできた。視線が交差した頃には既に隠されていたが、その鮮紫の瞳にしっかりと、焦燥に似た色が浮かんでいた事に昇太郎は気付いていた。怠惰なこの男に似合わぬ取り乱し様が可笑しくて声を上げて笑うと、舌打ちを返される。
「あー、心配して損した」
「何じゃ、白々しいのぉ」
「るせェよ、馬鹿が」
「――ぃだッ!?」
 普段の様子を取り戻してがりがりと頭を掻き毟ったミケランジェロが、昇太郎の額にでこぴんをくれた。
「何なんじゃ、お前は――ッ!」
玉鋼の声を荒げて抗議する横をすり抜けて、ミケランジェロが駆け出す。一体何なんだ、と苛立ちながらも振り返り――昇太郎は視線を鋭くし、鈍ら刀を引き抜いた。
「……まァ、あれで死ぬような簡単な奴じゃねェとは思ってたがな」
 ――なぜ、わたしにはなにもくれぬ! ほしい、にくい、いたい、すくわれたい!
 怒りと苦痛にのたうつ闇が、膨張を始めている。光すらも取り込む様にして、じわりじわりと床を黒く染め上げていく。コンクリートを侵食する黒は、零れたペンキを思わせた。
 蠢く幾つもの触手が、二人に向けてその腕を伸ばす。
「……泣きたくなるほど、苦しい声じゃ」
「だからって、野放しにしていい訳じゃねェだろ。苦しんでるなら尚更、」
「――終わらせてやらにゃ、いけんのぉ」
「……判ってんじゃねェか」
 獰猛な獣の様に啼き喚き、幼い子供の様に泣きじゃくる闇色の渇望。いたい、いたい、すくわれたい、すくわれたい。叫び声は狭い倉庫内に幾重にも反響し、何百人もの幼子が母を求めて泣いている様にさえ聴こえた。
 鼓膜を襲う希求の声に昇太郎は瞬間刀を振り上げるのを躊躇したが、先を走る親友が無情な程に迷いの無い剣閃で暗濘を斬り飛ばしていくのを見、唇を噛み締めた。柄を握る手に力を込め、彼を追って広がる闇へと飛び込んで行く。
 ミケランジェロが振り返り、小さく唇を歪めてみせた。それに昇太郎は笑みを返し、身を翻して闇に一閃をくれる。
 永遠を生きる内に、昇太郎の中で凝り固まっていた迷いや惑いを、どんな時もたった一閃で蹴散らし、引き摺り上げるのだ、この男は。その潔癖とも取れる気丈さ、強さに、自分でも気付かぬ内に何度も助けられていた。
そんな些細で簡単な事実に今更気が付いて、昇太郎は剣閃を振るいつつ小さく笑った。
「何だ、随分と余裕だな」
「いや――単に、ちぃと阿呆な事考えてまってな。自分で可笑しくなっただけじゃ」
「はァ? 何だよ、後で俺にも聞かせろ」
「絶対に嫌じゃ。特にお前にはな」
「……ムカつくな、お前」
 一つきつく睨み付けてやると、昇太郎は更に大きく声を上げて笑いだした。業とらしく溜め息をついてみせ、ミケランジェロは振り返って闇と対峙する。
 この闇が何であって、何故人間を捕食するのか、何故ここまで狂おしく何かを求めているのか、ミケランジェロは知らない。
知る必要もないし、知りたくもなかった。
 ただ、『彼』はこのままでは救われない。それだけが解っていれば、それでよかった。
 このままこの街で『何か』を求め続け、人間を喰らっていったとしても、彼の中に空いた空虚を埋める事は出来ない。何かの死によって創り出される安定に、救いなど存在しないのだ。
 それが解っているからこそ、ミケランジェロは刃を振るう。修羅が神を殺したと言う、この慈悲深く無情な剣で、何ともつかない哀しい闇に終焉をくれてやる為に。
 闇がミケランジェロへと腕を伸ばした。抱え込む様に、招き入れる様に、人間が両腕を広げる仕種に似たその動きを軽く笑ってあしらい、低く屈んでその懐へと飛び込み、腕を二本とも根元から断ち切る。闇が一際高く悲鳴を上げ、波打った。縦に高くその身を伸ばした黒を、駆け寄った昇太郎が真二つに切り裂く。切り裂かれた上の部分が、強くうねった後空へと霧散した。その粒子に触れない様、二人は同時に跳躍して後退する。
 ――いたい、いたい、いたいすくわれたいたすけてこわいこわいこわい、たすけて!
 いつの間にか、闇の叫びは変質していた。怯え逃げ惑う幼子の様な、舌足らずでがむしゃらな叫びに。何重にも被っていた憎悪や嫉妬が剥ぎ取られ、ただ何かを求め、けれど差し伸べられる手に怯える、幼い心が浮き彫りにされる。
「まるで、こっちが悪役みてェだな」
「……誰が悪いのかなんて、誰にも決められんもんじゃ」
 最期の抵抗か、あるいは求めた『何か』を捕らえようとしたのか、闇がありったけの腕を伸ばした。漆黒を纏う風に似た鋭さで、けれど弱弱しいか細い触手が幾本も突き出され二人を襲う。ミケランジェロを庇う様に前に進み出た昇太郎が、一閃斬り上げてそれを打ち払った。
「――ミゲル!」
「あァ。言われねェでも解ってる、よ!」
 玉鋼の鋭い響きに追い立てられ、ミケランジェロは体勢を低くし駆け出す。闇色の腕を潜り抜け、泣きじゃくる本体の、懐へと飛び込んだ。細身の頼りない西洋剣を掲げる。
 ――いやだ、いやだいやだこわいこわいこわいたすけて!
 伸ばされていた触手が退き、己自身を護る様に丸く縮こまる。その仕草は、まるで独り暗い場所で震えている幼子の様で――しかし、ミケランジェロは動きを留めなかった。
 泣きじゃくり、怯え、震えている彼を救うには、哀しみから解き放つには、こうするしかないのだと、解っているから。
「せめて――安らかに、眠れ」
 手向けの言葉を添えて、振り上げた剣を降ろす。
 鋼の剣閃が、翻った。
 暗く淀んだ黒が、一度大きく跳ねる。弾力を喪い水の様に清かに流れ出し、地面に染み込む様にして色を喪っていく。だらりと崩折れた腕は委縮し、母体へと帰っていった。まるで、求める何かがここには無い、と悟ったかの様に。
 叫び声も泣き声も、憎悪も恐怖もない、ただただ穏やかな終焉。
 芸術の神の、鮮やかで美しい紫の瞳が、それを静かに見届けている。闇の姿が、昏い黒が、地面に溶け込みその姿を喪う、最期の瞬間まで、鋼の剣は墓標の如く突き立てられたままだった。
 カラン、と軽い音を立てて、フィルムが地面に転がり落ちる。白くしなやかな手が、それを拾い上げた。目の高さまで持ち上げて、倉庫の外から差し込む光に翳す。
 しかし、どれだけ鮮紫の瞳を細めても、暗闇に塗り潰されたフィルムからは何も見る事が出来なかった。
「……あれは、結局」
 いつの間にかミケランジェロの隣に立っていた昇太郎が、呟きを落とす。
「誰――何、やったんじゃろうな」
 それは独り言とも取れる小さな声で、答えを求めてはいなかったのかもしれない。
「……何でもいいだろ」
 ミケランジェロが踵を返して、西洋剣を鞘へと戻した。持主にそれを押し付け、ブーツの音を高く打ち鳴らして歩き始める。
「どうせ判ったとしても、他の方法があった訳じゃねェんだ」
「……」
 しばらく逡巡した後、足音にすらならない静かな音が、その後姿を追い掛けた。
 金色の囀りが、低く美しく、倉庫内に響き渡る。

 

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