銀の瞳が最期に映したのは、大地を這う、煌びやかにしておぞましい流星達だった。
星達が、空が在る筈の頭上にはただ漆黒がぽかりと穴を開けているだけで、夜空とは違う虚無が広がっている。そして、視線を下げれば――青空をそのまま引き摺り落とした様な、紺碧の地面を躍る、白金、青銀、赤銅。美しい異形の獣達。此方を見上げ威嚇に牙を剥く者もあれば、共食いを繰り返す者たちも居る。青銀の兎を喰らう赤銅の狼、澄んだ青の血飛沫が宙を舞い、地面をより深い青に染めた。
彼らこそが、這い蹲る夜空を彩る星達。
――存在してはならなかったのは、彼らだろうか、それとも人間だろうか。
星達と同じ様にして生まれ、人間と同じ形をとった自分は、果たしてどちら側に在る存在なのか。口にした所で明確な答えが返ってくる訳でもない問いを胸の内に鎮めて、彼はただ眼下の光景に目を奪われていた。
彼の真後ろに佇んだ老人が、呪を施行する旨を枯れ果てた声で伝える。彼は振り返る事無く頷き、瞬きに似た無造作な動作で瞳を閉じて、身を倒した。かさついた枯れ枝の様な水気の無い感触が、額と瞼を覆う。ふ、と瞼を超えて沁み込んできていた光が遮られ、宵闇よりも昏い空間に視界が呑み込まれた。枯れた術師の手が離れても、それが光によって絶やされる事は無く、世界に拒絶された様な感覚が彼を襲う。
絶対的な孤独。甘美だが、何よりも耐え難い。絶望に似ている、と考えて――自分は元から孤独だったのだと、思い直して彼は自嘲に唇を歪めた。
人は生を終えると何処へ向かうのか。今の世界がどんな摂理で出来ているのか、彼は知らない。だが、少なくとも、彼が向かう場所とは違うのだと、それくらいは理解出来ている。崩れ落ちた夜空の、その欠片の一つが変じた自分と、母親の子宮から生み出され、望まれて生を受けた人間達とでは、生きる時間そのものが違うのだろう。
たとえ人間として全く変哲の無い肉体を持っていようとも、彼はあの地面を這う流星達と同じなのだ。その体内にどんな毒を、刃を持っているか解らない。村人達がそれを恐れ封じようとしたのも理解出来るし、拒絶の意志は毛頭無かった。
そうやってあれこれ物思いに耽溺していると、不意に、瞼の上を刺突された様な微かな痛みを感じ――直後、意識が遠のいた。
意識が浮上し、覚醒を迎える。
それでも彼は、瞼を開き、光を迎え入れる事は出来なかった。
身を起こすと、封じられた瞼の在る辺りをそっと撫でる。緩く締め付けられている様な感触がすると思ったら、どうやら包帯――或いはただの布切れかも知れない――をぐるぐると巻き付けられているらしい。簡単には呪が解けないようにと言う措置なのだろうか。何にせよ、見えないならば関係がない。
当ても無く伸ばした左手が、冷たい石の壁にぶつかった。かなり近い位置に在るらしいそれは、探っていくとまっすぐな割れ目が在るのが解る。流麗な細工が施されているのも感じ取る事が出来た。
光を喪った視界に、ひとつの光景が蘇る。
夜空の欠片であった彼が、肉体を得て、最初に目にした風景。
村の入り口の、堅牢な石門。自分は今、その前に立ち尽くしている。
ああ、此れを護るのだ、と。言葉だけでは実感が湧かなかった自分の役割を、彼は唐突に理解した。彼一人が護るには大き過ぎるその門が、何故か不意に愛おしく思えた。何が在っても護ってやる、言葉にして誓いを立て、石門に背を向ける。
術によって視界を奪われた代わりに、聴覚や触覚を研ぎ澄まされたらしい。両の耳が、ざり、と砂を踏む小さな音を聞き付けた。どの方角、何歩離れた距離なのか、それすらも判断出来る。恐らくは四足の、狼だろうか。濃厚な果実酒に似た血の匂いが鼻に付く。
狼が強く地面を蹴ったと同時、身を沈めて腰の剣に手を掛ける。跳躍で迫った狼をぎりぎりまで引き付け、刃を引き抜き様に一閃振るった。肩に牙が食い込むのを感じたが、激痛に眉を顰める暇もない。喰らい付いたまま絶命した獣の腹部を蹴り離す。右側から猛禽の羽撃きが聞こえ、己の肩から狼の牙を引き抜いて、切り裂かれる風を頼りに投擲した。甲高い叫び声と共に大地に獣が落ちる音。安堵を覚えるよりも早く、次の獣の遠吠えが轟く。
己を追放した人間達、それでも尚愛しい彼らを護る為、此処から離れる事は出来ない。
此処で、この、紺碧の大地で。美しい異形達と尽きるまで死の舞踏を躍り続けるのが、ただ彼の存在する理由。永劫の罰にも似たそれを、甘んじて受けようと思う。
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