紫煙がゆるやかに、夜の闇に溶けていく。窓から逃げ出した白い軌跡は、星に届かずに消えた。それを目で追いかけている自分に気付いて、ミケランジェロは柄でもないと苦笑する。
灰皿に煙草を押し付けて、甘い紫の瞳をすい、と横に移した。
事務所にたった一つ置かれたソファに横たわって、泥の様に眠る修羅。規則正しく上下するその肩を眺めながら、ミケランジェロは薄く笑んだ。
異色両眼を閉じたその寝顔は、あどけないと言っても良い程安らかで。<天使>が帰り際に掛けていったブランケットが微笑ましかった。
「――……馬鹿が」
だが、その頬や胸元にこびり付いた血を見て、ミケランジェロは眉間に皴を寄せる。
いつもの如く傷だらけで帰って来て、手当てする暇も与えられぬまま眠りに着かれてしまった。ドアを開けてミケランジェロの顔を認め、安堵したかの様に頬を緩めて、そのまま昏倒したのだ。
<天使>は苦笑し、せめて痛みが軽くなる様に、とまじないを掛けていった。「――まあ、おまじないなんてものは“治る”という気持ちを持たせることが大事ですからね。寝てる人に掛けても少しも変わらないかもしれない」なんて、苦笑しながら。
修羅の胸元に刻まれた、大きな創傷に目を向ける。まじないの所為かどうかは解らないが、ぱっくりと開いて血を流し続けていたその傷は、確かに塞がりつつある。彼自身の治癒能力がそうさせているのだろうか。――どちらにしても、相変わらず痛々しい事に変わりはないのだが。
馬鹿が、ともう一度毒づいた。修羅は応える事も無く、眠り続ける。
わたくしは青ぐらい修羅を歩いているのだから
かつて読んだ詩の一節が、不意に脳裏に蘇った。この男も、そうなのだろうか。
彼が傷を負ったまま帰って来る時はいつも、声も上げず涙も流さず泣いていた。涙など枯れ果てた、だから泣く事など出来ない、と自嘲する修羅に、何度その表情を見せてやろうかと考えた事か。
本当に、馬鹿な男だと思う。どうしようもなく不器用で、簡単な道を選ぶ事が出来ない。否、己が歩いている道が茨だと、一切気付く事が出来ない。どうしようもなく頑なで、残酷なまでに無垢だ。
「――なァ、」
聞くものも居ないまま、呟く。
「……お前が歩いてる道ってのは、それ程までに青く、暗いのか」
なんとかして、照らしてやる事は出来ないだろうかと、考えながら。
ふ、と薄く笑むと、ミケランジェロは修羅から視線を逸らした。窓の外に広がる黒い闇に、眼を向ける。慣れた手つきで煙草を咥え、火を付けた。
吐き出された紫煙は細く細く伸びて、夜空の星を絡め取る様に消えていく。
10題のひとつ、「視線が絡む」とリンクしています。
途中挿入した詩は冒頭が「春と修羅」、作中に「無声慟哭」。
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