赤が、飛び散る。
魔物の鋭い爪に脇腹を抉られ、昇太郎は僅かに顔を歪めた。零れる血を忌々しく思い、切り裂かれた裾を自ら破り捨てる。
焼ける様な痛みはどうしようもないが、しかしこの程度の傷では彼の動きは鈍らない。たとえ両腕を失ったとして、剣を咥えてでも戦いをやめようとしない男だ。まして五体満足ならば、どうして手を止める必要があろうか。
「……怪我、してねェだろうな?」
まるで見透かされた様なタイミングで声を掛けられたものだから、昇太郎は動揺し、しかしそれを悟られない様に唇を引き結んだ。
「って、どうせお前の事だから、したとしても素直に言う訳ねェか」
続け様に、呆れ果てた様な声が降る。それもまた見透かされている様で、思わず苦笑した。
抉られた脇腹が微かに痛み、ふと、背後の男は傷を負ってはいないだろうか、と少しだけ気に掛ける。
「……まァ、お前が死んでも俺にとっちゃァ嬉しいだけだがな」
しかし、流石にその一言は癪に障った。
振るった刀で魔物を叩き斬り、振り返って睨み付けてやると、ミケランジェロは肩を竦めて飄々と笑う。
「おーおー怖いねェ。んな鬼みてェな顔すんなって。男前が台無しだぜ?」
滑らかに回り続ける口。紡ぎ出されるのは、この場にそぐわない、意味もない冗談ばかり。
「あァそうか、お前鬼なんだっけ。修羅って言やァ、鬼の事だよな?」
「……お前、少しは黙れんのか? やかましい」
「いいじゃねェか。手止めてるわけじゃねェんだし」
耐え兼ねて抗議すれば、へらりと笑って返される。
「折角滅入る気分を軽くしてやろうとしてんのに。つれねェな、お前は相変わらず」
掴み所のない水を相手にしている様で、埒が明かない。昇太郎は小さく眉を顰めて、だがそれ以上は何も言わない事にした。言い返すのが面倒だったと言うのもあるが、手を止めていないのであれば構わないか、と思ったのだ。この男の軽口は恐らく、死んでも治らない。
剣と刀とを振るう腕に、意識を集中させる。
飄々と風の様に舞う言葉は止まない。だが、背後で風を斬る音も止む事はない。それらを少しだけ心地好く感じながら、魔物を屠り続ける。砂へと還る彼らに、僅かな懺悔を込めながら。
「――心配かけさせんじゃねェよ」
不意に響いたその声に、昇太郎は足を止めた。
男が口にした全ての言葉は耳を通り抜けて行ったと言うのに、その一言だけは耳に焼きついた。今までの軽口とは違う、真摯な口振りで。
意識していなかった脇腹の傷が、痛み出す。この傷をミケランジェロが見たら、どんな反応をするだろうか。きっと舌打ちをして毒づき、刺々しくも気にかけてくれるのだろう。
昇太郎は瞑目して、微笑した。
――ぉおう、
足を止めた昇太郎の背中を、熱風が襲う。次いで、赤く色づいた風が――否、炎が、彼を避ける様にして走った。風に煽られ、鉢巻の先が僅かに焦げる。
振り返れば、背を向けていたはずの男が此方を向いていた。スプレーを片手で弄びながら、気だるげに爪先で地面を蹴っている。
其処に在ったのは、赤い塗料で描かれた方陣。今現在魔物を焼き尽している深紅の焔を呼び出した、煉獄への扉。
「ったく……面倒くせェな」
肉の焦げる嫌な臭いに覆われ、ミケランジェロが表情を歪める。その一瞬、紫の瞳は僅かに揺らいだ。何かに、怯えるが如く。
何に、怯えたと言うのだ?
弱さを虚勢で隠したがる男の感情を読み取るには、一瞬の揺らぎでは足りなかった。
「ぼけっとしてんじゃねェよ、まだ残ってんだろうが。戦え」
――だが、何であろうと、奴の口が悪い事に変わりは無い。
くしゃり、と髪をかき混ぜ、昇太郎は小さく嘆息した。呆れた様に首を振る。
「……阿呆」
そう呟いて左手を握り突き出せば、口端を吊り上げていつもの笑みを浮かべたミケランジェロが、軍手を外して拳をぶつけ返した。
包帯が巻かれた武人の拳と、神の造形物が如き繊細な画家の拳が、かちあう。
拳を離し、翻って駆け出そうとした昇太郎は――しかし、左腕を掴まれたたらを踏んだ。
「何なんよ、ミゲル?」
「前言撤回。お前は行くな」
「え、――ッッ!!」
言うが早いか脇腹を強く叩かれ、その余りの激痛に蹲った。幾ら痛みに慣れてしまっているとは言え、負ったばかりの傷を抉られるのは流石にきつい。
「――何ね、いきなりッ!」
しばし悶絶した後、にやにやと意地悪く笑う男を涙の滲む眼で睨め上げる。男は咥えていた煙草を投げ捨てると、素知らぬ顔で軍手を嵌め直した。
「……お前、よくそんな怪我で大暴れ出来たなァ?」
「阿呆、これくらい何とも、――~~!!?」
「そんだけ血ィだくだく流しときながら何言ってんだよ」
「……痛ゥ……鬼じゃろ、お前……!」
再び傷口を爪先で抉られ、昇太郎は脇腹を抑えてしゃがみ込む。その頭を軽く叩き、ミケランジェロは刀を抜いた。ふわりふわりと羽撃く鳥が物言いたげな視線を向けて来たから、手をひらひら振って口角を歪めてみせる。
「とにかくお前はそこで大人しくしてろ。後は俺がやる」
「おい、!」
「……お前の血なんか見たくねェんだよ、馬鹿が」
最後に落とした呟きは、隠し続けていた本音。
弾かれた様に顔を上げた異色両眼と眼が合う。笑みを引っ込め、真っ直ぐその銀と翠を見返してやれば、昇太郎は僅かにたじろいだ。
止んだ炎の奥に見える魔物を睨め付けて、制止の声を聞き流し駆け出す。
どうせ奴の事だから何を言っても無駄なのだろうな、などと考えながら。
某K様、この度はリクエスト(ネタ投下)ありがとうございました!ご希望に添えてればいいのですが…(ドキドキ)
それにしても、傷口爪先で抉る、ってそれ心配してる人のする事じゃないよね。
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