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オンラインノベルRPG「螺旋特急ロストレイル」の個人的ファンサイトです。リンク・アンリンクフリー。

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プロフィール
HN:
カツキ
性別:
女性
自己紹介:

ツクモガミネットに愛を捧ぐ(予定)のPL。
アクション・スプラッタ系のシナリオを好む傾向にあり。超親馬鹿。


当家の面子
鰍(カジカ):
コンダクター。私立探偵のはずだけど現状はほぼ鍵師扱い。銀細工とか飴細工が得意の兄さん。名前がコンプレックス。

歪(ヒズミ):
ツーリスト。三本の剣を携えた、盲目の門番。鋼の音を響かせて舞う様に戦う、人と同じ姿の異形。

灰燕(カイエン):
ツーリスト。白銀の焔を従える、孤高の刀匠。刀剣と鋼の色を愛し、基本人間には興味が無い。人として危険なドS。
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[a bird has no name]
 割れる様な、耳を劈く様な歓声が、遠い世界での出来事の様に思えた。この瞬間だけ、世界は二人が立つ円形のフィールド、ただそれだけの様な感覚を覚える。
 何故此処に居る、と唇だけで問えば、返ってくるのは口元を吊り上げた意地の悪い微笑ばかりで。担いでいたモップを肩から降ろすと、男は親指で自らの首元を指し示した。
 色の白い喉に浮かぶ、深く誘い込む様な黒英石の首輪。
 言葉が喉の奥に貼り付いて呼吸器官を堰き止め、瞬間呼吸を忘れた。その首輪が、自分の首を緩慢に締め続けるものと同じだと言う事を認めて、心臓を握り潰されるような感覚を覚える。衝撃と当惑と男への怒りと、恐怖。昏い色が混ざりあって濁りきった色の感情に、内面だけでなく表面までも掻き混ぜられている様だった。
「何日も帰ってこねェと思ったら、こんな所で油売ってたなんてな」
「お前――」
 言葉を紡ぐ度に喉が震えるのが解る。まともに呼吸も出来ない。それでも握り締めた刀だけは取り落とさない様に、右手に力を込めた。
 男の銀髪の奥で暗く煌めく瞳は、遠くて色すらも判別出来ない。いっそ自分が知るあの男でなければいいのに、と結果の解り切った期待を抱いてしまう程に。
「……なして、此処に」
 今度は声に出して問うてみる。男は肩を竦め、灰銀の髪を掻き混ぜた。作業着のポケットに片手を突っ込み、面倒だ、とばかりに首を横に振る。
「見りゃ解んだろ、お前と同じだよ。……お手柔らかに頼むぜ?」
 頭が惚けたまま返事も返せずにいる昇太郎を見やって、男は愉快そうに笑った。いつもの仕種で煙草を一本咥えて、火を点ける。
 青みがかった黒の光を跳ね返す床に、男のブーツの音が高く響いた。相も変わらず気怠げな様子でこちらへと歩いて来る男の瞳が甘く鋭い紫であると言う事を視認し、昇太郎は眉を顰める。
「百人まで後一人、か。……最後の最後に、残念だったな」
 そこで口を閉ざし、立ち止まる。銀色の眉を跳ね上げて昇太郎に目を遣ると、至極楽しそうに、しかし何処か自嘲する様に、笑った。

「――俺が相手だ、悪く思うなよ」
 




[chicken]
 後頭部に痛みを覚え、泥濘の底に在った昇太郎の意識は一気に浮上した。
 疼く痛みと生温い感覚が気持ち悪い。反射的に手を伸ばして確認しようとすれば、冷たい金属の感触にそれを阻まれ、小さく舌を打った。手錠か何かで後ろ手に繋がれているらしく、自分の身体が思う様に動かないのは非常に気分が悪い。苛立ちと共に、閉じていた瞼を緩慢に持ち上げた。
「……何と」
 眩しい光に眼が慣れず、何度か瞬きを繰り返していた昇太郎の耳に、小さな感嘆の声が届いた。あまりに微かな声だったので、辛うじて性別くらいしか判断出来ない。低く優雅な男のものである事は間違いない様だが。
「両の眼の色が違うか。まるで猫の様だな」
 自分の事を言われているのだと、それくらいは理解出来た。だが、今までに一度も猫の様と譬えられた事はなく、思わず本物ではなくて猫に似た名を持つ親友の姿を思い浮かべてしまい、口元が緩んだ。
 瞳が完全に光に慣れても、直接照明の光を当てられている為か視覚は利かなかった。視界が黄色がかった白に塗り潰されていて、役に立たない、と眉を顰めて瞼を降ろす。
「見目も悪くないし、黒い髪は特に希少価値が高い。後は腕だな。――あんな頼りない身体で、勝ち残れると思うか? ……」
 声が遠ざかっていくと感じて、否、自らの意識が遠のいているのだと気付く。後頭部は相も変わらず疼き続けるし、両手も視界も役に立たないしで、昇太郎は詮索するのをやめて、再び泥濘に沈んで行く意識に身を任せた。

 何の故かは知らないが、このハザードでは不死の能力が通用しないらしい。後頭部の傷を癒そうと摺り寄ってきた鳥が、自らの力が効かない事に当惑していた。その喉をゆるゆると撫でてやりながら、物思いに耽る。
 ここで死ぬ事はつまり、永遠の生命も終わりを迎える事を指している。幾ら死んでも死ねない、それだけが取り柄だった自分は、今やただの人間と大差なかった。
 首に取り付けられた首輪を撫でる。色までは解らないが、冷たい石の感触がした。まるで本当の猫にでもなってしまった様だと自嘲して、猫ではなく鶏なのだと訂正して更に笑う。
 眼前の銅藍の扉が、重い音を立てて開いた。白熱灯の眩しさに、目を焼かれる。腰に差された古い友人――戦う為の場であるからか、武器は奪われずに済むらしい――を手で探って、その柄を握り締めた。
 円形のフィールドに足を踏み入れれば、フィールドを覆う壁に十数ヵ所同じ様な扉が開いていて、昇太郎と同じく首輪をした男達が姿を見せた。首輪はどれも総じて深く冷たい漆黒であり、恐らくは自分の首を締め上げる物もまた同じ色をしているのだろうと見当を付ける。
 これはゲームだ、と言われた。勝ち残る為には、他の人間を全て、殺さなければならない、とも。
 鐘が一度打たれて、高く響いた。始まりの合図なのか、擂鉢状になった観客席が大いに沸く。殺し合いを見る為だけに、ここまで人間が集まる。それを狂っていると言う事は、しかし誰にも出来ないのだろう。
 昇太郎は、決して体格が良いとは言えない。寧ろ貧相とさえ言っていい程の、最低限の筋肉だけを身に付けた、しなやかな体躯をしている。飛ぶ為に必要なもの以外は全て削ぎ落とした、鳥に似た体付きだった。
 だから、屈強な男達に囲まれた中で、彼が一番に狙われたのも、当然の事だっただろう。示し合わせた様に、男達の刃が彼に向けられる。
 しかし、幾ら不死でなくなったとは言え、今更それに恐怖を覚える理由もない。殺す事は出来ないが、その為に殺されてやる、と言う選択肢も、今の彼には無かった。
 昇太郎は小さく笑って、最初に振り降ろされた刃を軽々と躱すと、男の懐に飛び込んで、腹部に拳を強く叩き込む。背後に傾ぎ、音を立てて倒れた身体を片膝で抑えつけると、その首元で光る漆黒に手を伸ばした。喉仏に当たる位置に両親指を添え、強く力を込める。
 一つだけ、殺さずに済む方法がある。そう言われた。
 ならば、それを選ぶしかないのだろう。

[interval]
「闘鶏場にね、最近、とんでもなく強い軍鶏が現れたって話だ」
 酒場の隅でキャスケットを被った男――暗がりで顔は判別出来ないが、青年、あるいは少年と呼んでいいかも知れない程、若い声をしている――が声を潜めて話すのは、街の中心に在る賭博場の話題。
 超古代の競技場を模したと言われる『コロッセオ』の中で行われるのは専ら、人と人とを闘わせ殺し合わせる、古くからの残酷なゲームだった。元は鶏同士を殺し合わせていた為、ゲームは『闘鶏』と呼ばれているらしい。そして見世物にされる戦士達は『軍鶏』と呼ばれて、勿論人間扱いなどされない。鶏が何匹増えようが死のうが、人間には関係が無いのだ。
「見た事もない細い剣を使う、珍しい色の髪した男でさ、そいつは今までに一匹も殺さずに十戦以上を勝ち残っているらしい」
 軍鶏が勝ち残る為の方法は二つ。一度に十匹以上放たれる対戦相手を一匹残らず殺すか、それぞれの首に取り付けられた、金剛石よりも尚硬い黒英石の首輪を破壊するか。鋼の刃ごときが通用するはずもない首輪を、その軍鶏は素手で叩き割ってしまうのだそうだ。
「このままだと一カ月もしない内に、『百匹斬りの慈悲』の救済措置を一匹も殺さないで達成するとかで、闘鶏場は大騒ぎ。顔も綺麗だし髪も目も珍しい色――目なんか凄いんだぜ、片っぽはキラキラ光る銀色で、もう片っぽはビックリするくらい綺麗な緑なんだ――をしてるしで、傲慢で悪趣味な金持ち共が「買い取りたい」って押しかけてるらしいよ」
 まるで自分の事の様に目を輝かせて軍鶏の説明をする男もまた、持つものさえ持っていればその『傲慢で悪趣味な金持ち』の仲間入りをしていたのであろう。
「俺もこないだはそいつに賭けずにボロ負けしたからね、今度からは絶対に外さないって決めたんだ……ん?」
 唐突に肩を叩かれ、男は振り返る。
 そして、簡潔に放たれた疑問に答えてしまったのが運の尽き、だったのかもしれない。
「――は? ……アンタも物好きだねー……そうだな、ここらで派手に暴れて、捕まって売り飛ばされれば行けんじゃないかな――ってちょっと、アンタ、何して――……ッうわあぁああああ!!」

[gamecock]
 『百匹斬りの慈悲』とは、対戦相手を百人殺した軍鶏は自由になれる、と言うルールで、元々は百人も殺すほどの危険な軍鶏を留めておく事など出来ない、と言う理由から作られた様だった。あるいは、極端に強い軍鶏が居ると賭けが成立しなくなるからかも知れない。
 とにかくそんなルールを、昇太郎は三戦目を終えた辺りで、一人の軍鶏から聞いたのだ。
 そして迷わずに、それを目指そうと決めた。
 昇太郎には帰るべき場所が在る。顔を見て、軽口を叩き合って、小突き合わなければいけない相手が居る。数週間も家へ帰れずにいる昇太郎を相手がどれだけ心配しているかなどは、想像するだけで笑いが零れる程だ。
 あの男の胃に穴を開けない為にも、一刻も早く帰らなくてはならない。その為に真っ当な方法があるなら、それを目指すだけだった。
 そう決意を再確認して、昇太郎は顔を上げて集中し、感覚を研ぎ澄ました。騒がしいまでの歓声や罵声を遮断して、微かな物音を選び取る。黒に覆い尽された視界に、架空の魔物の姿を描き出す。たとえ幻であっても、対象の姿が解らないよりはマシだった。
 これで何戦目だっただろうか。今までに倒した人数なら覚えているが、何度戦ったかは覚えていない。とにかく、後二十三人と言う所で、ゴーグルの様な物をされ視覚を奪われた。刀は四戦目が終わった時点で、既に奪い取られている。
 正直に言わずとも、悪趣味以外の何物でもない。そこまでして百人斬りを阻止したいのか、と辟易した。もっとも、これで戦えなくなるだろうと言う読みは、甘いとしか言いようがないが。
 右斜め前方に在る魔物の姿が動く気配、地面を蹴る音がした。それを追う様に、他の魔物も動き出す。
 最初に動いた魔物が、剣を突き出したらしい。空を切り裂く音がして、突風が襲ってくる。昇太郎は、突き出された刃を無造作に握り締めると、掌が傷付くのも構わずに無理矢理剣の軌道を曲げる。がら空きになった魔物の胴に、拳を叩き込んだ。崩折れた魔物を肩で支えると、素早く首を、冷たい石の感覚を探り当て、力を込めて割る。
 次の魔物が背後に迫り、斧を振り上げている。音と気配でそれに気付き、振り返ると同時に低く屈み、その脚を蹴りで薙いでバランスを崩させた。そして、先程と同じく、転倒した魔物の首を探し出し、石で出来た首輪を割る。
 音で相手の動きを読み、時には攻撃を態と受けながら避け、首輪を割っていく。するりするりとしたしなやかで柔らかな、無駄のない美しい動作に観客席から歓声が上がる。
 高く忙しない鐘の音がして、やっと見世物が終わったのだと知った。割れんばかりの歓声に物音は全て掻き消され、何処へ行く事も出来ずにぼんやりと立ち尽くしていると、腕を掴まれ後ろ手に手錠をされる。そのまま乱暴に引き摺られるのに、従順に着いて行った。
 独房に押し込まれ、鍵を掛けられたらしい。ゴーグルを取ってはくれないのかと抗議しようかと思ったが、面倒になってやめた。足でベッドを探り当てて、飛び込む様にして身を横たえる。目を閉じて――視界が真っ黒なのだからそう変わりはないが、こう言うのは気分の問題だろう――、首輪を割った回数を数えた。
 百人斬りまで、後十二人になった、らしい。これならば上手く行けば後一戦で終わる事が出来る、そう安堵して、昇太郎は意識を眠りの底へと引き摺り込んだ。

 結局、次の一戦も対戦相手は十一人で、解放は持ち越しとなってしまった。
 どうやら主催者側には良心の欠片も無いらしく、先の一戦が終わってから今まで、一度もゴーグルを外して貰えていない。その中で戦う事は別段難くないと解っていたが、やはり視界が無いと言うのは慣れなかった。暗闇に覆われると、途端に全てから取り残された様な、ぽっかりと空いた穴に落とされる様な、そんな感覚に陥る。

「最後の対戦相手から申し出があった。ゴーグルを外し、剣の使用を許可してやれと言う事だそうだ」

 だから、だろうか。

「殺し合いにはハンデなど必要ない、だそうだ。可笑しな奴だな」

 数日ぶりにゴーグルを外され、久方ぶりの光の中で目にしたのが此処に居る筈のない男の姿で――どうしようもなく驚愕し、脳裏が白く弾け飛んだ程に当惑してしまったのは。

[like a blue bird]
 百人斬りの最後の一人――ミケランジェロは、しかし開始の鐘が鳴り響いても煙草をくゆらせたまま怠惰に立ち尽くすだけだった。客席をぐるりと見渡し、うるせェな、と小さく零す。立ち竦んでまともに動けない昇太郎に目をやると、無造作に首輪をトントンと叩いて、笑ってみせた。
「昇太郎。……お前、今までの奴らみたいに、殺さずに首輪だけ奪い取る気なんだろ」
「……それが、どないした」
「相変わらずのお人好しだな、お前は。――……だがな、それは残酷なだけだって、知ってたか?」
 勿体ぶった口調で、言う。宝石の様な硬質で美しい紫の瞳が、真摯に昇太郎を射ていた。くつり、と喉の低い痙攣と共に紫煙を吐き出し、ミケランジェロは返事を待たずに言葉を続ける。
「此処の裏にな、ゴミ捨て穴があるんだよ。数十メートルの深い穴だ。勿論ゴミ穴だから、這い上がる方法なんてあるはずも無ェ。……此処で負けた奴らはな、其処に捨てられるんだ。――死者も生者も関係なく、な」
「……ッ!」
 全身が総毛立ち、重圧の様なものが肩に、背中に強く圧し掛かった。その言葉の意味を、正しく受け止めて。
「何人かは俺が見つけた時にまだ生きてたから、引き上げてやった。だが、残りは知らねェ。死体はフィルムになって、残らねェからな。……だが、」
 お前は、何人殺したんだ?
 笑みを浮かべたその唇が紡いだ言葉。心臓のすぐ近くが、氷の飛礫を投げ込まれた様に痛んだ。殺したくなくて、生かしてやりたくて、共に生き残りたくて選んだ方法だと言うのに、それすらも間違っていたと、目の前の男は言う。ならば大人しく殺されていればよかったのかとそう問えばきっと、男は首を横に振るのだろうが。
 付き合いが長いと言うのは時に煩わしいものだ。この男は、昇太郎の強固な意志、決意を抉り叩き折る最良の方法を知っている。返す言葉も無く、ただ異色両眼を剣呑に細めて睨み付けた。だが、ミケランジェロはそれに構う様子もない。
 カン、とブーツが床を叩く高い音。ミケランジェロが一歩踏み出したのだと、昇太郎は遅れて悟る。
「さて。……真実を知った上で、もう一回聞くぜ。――俺をゴミ穴の中で餓死させるか、それともお前の手で殺してくれるか、どっちを選ぶんだ?」
 立ち昇る紫煙の行方を追い、ミケランジェロが頭上を見上げる。何気ない仕種だが、そこに揺るぎない決意が滲んでいる事は容易に見て取れた。
 答えのない、答える為に口を開く事すら出来ない昇太郎を紫眼が捉えて、微笑した。
「ちなみに、俺の答えは決まってる――……解るよな、相棒?」
 それだけ言うと、低く身を屈めて弾丸の様に走り出す。昇太郎が未だに当惑で動けないのを喉の奥で低く嗤って、得物を抜いた。
 ぎらり、鋼の色が翻る。抜き放ったままの姿勢から、斜めに刀を振り上げる。
 布が裂ける、簡素な音がした。寸での所で躱した昇太郎の着物の肩が、ぱっくりと割れている。
「ミゲル――!」
「そろそろ黙れよ、真剣勝負にお喋りは禁物だ。……でないと、その綺麗な顔から潰しちまうぜ?」
 言うが早いか見慣れた顔目掛けて刀を振り下ろせば、これもギリギリで躱し、昇太郎は後ろに大きく跳躍した。迷いに揺らぐ瞳で、刀の鞘を抜き捨てる。ミケランジェロの言葉の真意を確かめようと、異色両眼を細めて彼を睨みつけた。それを受け流す様にミケランジェロは軽く肩を揺らし、一気に跳んで間合いを詰める。
 ヂイン!
 鈍い金属質な音がして、火花が昇太郎の顔の真横で散った。
「……お前が迷ってて、如何する。俺の決意を無駄にするつもりか?」
 壁に刃を突き立てたまま、昇太郎の耳元でミケランジェロが低く囁く。掠れた艶やかな声は、様々な感情を押し殺しているようにも、聞こえた。
 壁に空いた傷口から零れ出る白銀の液体が、昇太郎の肩を濡らした。それが誰かの涙である様に思えたのは、虫が良過ぎるだろうか。
「――生きろよ、昇太郎」
 その、懇願にも似た声が鼓膜に響いた時、昇太郎の中で何かが弾けた。
 提げていた刀を持ち上げて、柄の部分で覆い被さる男の肩甲骨の間を強かに打ちつける。衝撃に傾く男を、身体を横にスライドさせて避けると、小さく跳んで距離を取り体勢を立て直した。
 刀を壁から引き抜き振り返ったミケランジェロに向かって、飛び込む。懐に入り込んで刃を引く様に動かせば、細い仕込み刀でそれを受け止められる。弾き飛ばされそうになるのを、ありったけの力を込めて押し留まった。
 二人同時に刀を退き、一歩で大きく距離を取る。
 先に動いたのは、再び昇太郎だった。鋭い突きを放てば、ミケランジェロが最低限の動作で躱す。それを何度か繰り返した後、低く屈んだミケランジェロが反撃に出て、昇太郎は刀でそれを受けた。弾き飛ばして再び距離を取り、地を這う様な剣閃でその脚を薙げば、靴音も高らかに跳躍して躱される。見上げたその顔目掛けて刀を突き立てられ、咄嗟に横に転がって逃げた。
 一連の型の様な、舞の様な流麗なやり取り。いつもの手合わせと変わらない流れなのに一振り一振りがこんなに重いのは、生命の枷を嵌められているからか。知らず、唇を噛み締めた。
 昇太郎の決意は固い。恐らくは、対峙する男もそうだろう。
 自嘲にも似た笑い声が零れた。かつての自分ならば、ここで剣を取る事もなく、斬られる事を望んだだろう。何故ここまで変わってしまったのか、そう考えて、それが対峙する男の仕業に他ならないと思い出し、笑う。
 擦れ違い様に一閃刃を咬ませ合って、そのまま駆け抜ける。壁が眼前に迫ってきた辺りで足を止め振り返ると、既にミケランジェロはこちらを向いていた。銅藍の床は、先程ミケランジェロが抉った壁の傷口から零れる液体で、銀色に濡れている。それが、今度はまるで二人の血である様に思えて、馬鹿らしいと首を振った。
 色の白い首で光る漆黒が、目に痛い。
 ミケランジェロがこちらに走ってくるのが解って、昇太郎は刀を握り直した。彼の一挙手一投足から目を離さぬ様にし、軽く片足を退いて力を込める。
 ブーツが地面と擦れ合って上がる高らかな音はこんな時でも躍動的で、力強いリズムを刻んでいた。それがまるで普段の、壁と対峙して絵を描いている時の足捌きに似て聞こえ、昇太郎は思わず聞き惚れる。その一瞬だけ、ミケランジェロから立ち昇っていた鮮紫の殺意は消え失せ、日常へと引きずり戻された様だった。
 芸術の神が口元を強く歪めた。それは嘲りや怒りに似た表情であったが、何故か、それが昇太郎やミケランジェロに向けられたものではないと言う事に気付き、昇太郎は目を瞠る。
 カァン、と一際高くブーツが音を立て、ミケランジェロが白銀の液体に濡れる地面を踏み締めた。

 直後、世界が白銀に染まる。

 地面にだくだくと流れていた白銀の液体が、一滴残らず極小の粒子となって空中に浮かんでいると気付いたのは、目の前に悪餓鬼の様な笑みを浮かべたミケランジェロが居る事に気付いたのと同時だった。次の瞬間にはそれらの粒子が全て芸術の神へと収束し、凝縮された後、地面を這う蛇の様な動きで放出される。
 絵だ、と思った。
 ミケランジェロはこの部屋に、巨大な地上絵を描こうとしている。キャンバスには不向きな金属の床と、塗料には不向きな砂の様な液体で。広がっていく白銀が、見事な模様を刻んで行く。全貌は解らないものの、昇太郎の見える範囲でそれは、花の形をしていた。
 白銀の月に照らされた、白銀に輝く桜。白銀の吹雪を撒き散らすそれが、銅藍の色をした夜闇に、鮮やかに艶やかに広がっている。キャンバスに直に立ち尽くす自分ですら圧倒されるほどなのだから、擂鉢状の客席の更に上、主催者席からは相当な迫力で見られるのだろう。少しだけ、羨望を覚えた。もちろんこの男が、主催者の目を楽しませる為に絵を描いたのでない事ぐらいは解っているが。
 白銀の軌跡が地面の端まで届いて、ミケランジェロは笑みを一層強くした。

 ――おおぉおおおオオオん!

 いつの間にか鼓膜に貼り付いていた静寂を切り裂いて、獰猛な咆哮が昇太郎の真後ろから轟く。音に驚き振り返れば、白銀の巨体を震わせ啼き猛る狼が、其処に居た。先程までは居たはずの無かったそれも、恐らく芸術の神の隷属。狼は白銀の瞳を一度昇太郎へ向けると、笑みの様に口元を緩めて、高く跳躍する。
 ビシィッ、と冷たい音が響く。見上げれば、戦場と客席を仕切る強化硝子に狼が体当たりを喰らわせ、大きな罅が入っていた。狼は一度地面に着地して、もう一度、勢いを付けて跳ぶ。
 鋭い音を立てて硝子が割れたのと同時、白銀の旋風が吹き荒れた。思わず目を細めた昇太郎の眼前を、白銀の桜吹雪が踊り狂いながら飛んで行く。優雅ですらあるその花弁は、しかし鋭い刃でもあるらしい。触れた傍から、肉を抉る様に容易く銅藍の壁を切り裂いていく。
 刃の吹雪は、白銀の狼は、留まる事を知らない。銅藍のコロッセオを思う存分蹂躙し、崩壊させていく。砕けて瓦礫へと変わる柱を、天井を、強化硝子を銅藍の壁を呆然と眺めながら、昇太郎は、この惨劇の中で血が一滴も流れていない事に思い至った。どんな状況であれ人の死を拒む自分を、目の前の神は確りと汲んでいてくれたらしい。
「――ミゲル、最初っからこがんつもりで……?」
「ったり前だろうが、誰が好き好んでお前なんかと殺し合うかよ」
 先程までの殺意、神の力は何処へやら、怠惰な掃除屋は至極面倒そうに髪を掻き混ぜる。紫の瞳が一度昇太郎を見て、それからついと頭上へ向けられる。昇太郎もそれを追って、既に役目を果たしていない天井を見上げた。
 二人の頭上で、刃の桜吹雪と白銀の狼が、光に包まれた後どろり、と溶解する。先程までは確かに絵であり破壊者であったそれは、瞬きの内に絵から塗料へ、塗料からただの液体へと戻り、白銀の雨となって降り注ぐ。
 それらを仰ぎ見ているミケランジェロは、役目を終えた芸術の隷属達を労い弔ってでもいるかの様に、柔らかい眼差しをしていた。灰銀に白銀の雨が落ちて、癖の強い髪は湿って強くうねる。
「……帰るぞ」
 うねった髪を撫でつける様に、あるいは更にうねらせる様に掻き混ぜると、ミケランジェロは唐突に興味が失せたかの様に瞳の柔らかな光を消して、怠惰な視線を昇太郎へと向け呟いた。
「俺ァ機嫌が最悪なんだ、お前に叩き起こされた時なんかとは比べ物になんねェくらいにな」
「――じゃけど、」
 すっかり瓦礫の山と化した周囲を見渡し、昇太郎が眉を下げる。瓦礫の下に埋もれた人間達を助けなくてはならないだろうと、困惑しきった様子の異色両眼がそう訴えていた。それは軍鶏であったり、観客であったり、あるいは主催者であったりするのだろうが、この男は立場の違いで差別をする事などない。彼に望まぬ殺し合いをさせ、苦しめたはずの主催者まで、助けたいと言い出すのだろう。つくづくお人好しな男だ、とミケランジェロは呆れ、その肩をやや力を込めて叩く。油断していたらしくふらついた昇太郎が、抗議の眼で振り返った。
「知るか、こんな悪趣味なモン見に来てた方が悪いんだよ。後は自分たちでどうにかするだろ」
 無言の抗議を軽く受け流し、その二の腕を掴んで無理矢理引き摺る様にして歩き出す。最早苛立ちを隠すのも面倒になって、忌々しげに舌を打てば、それに気付いた昇太郎が訝しげな声を上げた。
「ミゲル――?」
「……誰も殺さなかっただけ、マシと思え」
 ぽつりと落とした声は、背後の男には届かなかったらしい。それでいい、とミケランジェロは安堵に口元を歪める。咥えていた煙草が濡れて火が消えていた事に気付いて、顔を顰めてそれを投げ捨てた。

 白銀の雨が降り続く。
 それは軍鶏達への鎮魂か、それともただの惨劇の残滓だろうか。

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