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オンラインノベルRPG「螺旋特急ロストレイル」の個人的ファンサイトです。リンク・アンリンクフリー。

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プロフィール
HN:
カツキ
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女性
自己紹介:

ツクモガミネットに愛を捧ぐ(予定)のPL。
アクション・スプラッタ系のシナリオを好む傾向にあり。超親馬鹿。


当家の面子
鰍(カジカ):
コンダクター。私立探偵のはずだけど現状はほぼ鍵師扱い。銀細工とか飴細工が得意の兄さん。名前がコンプレックス。

歪(ヒズミ):
ツーリスト。三本の剣を携えた、盲目の門番。鋼の音を響かせて舞う様に戦う、人と同じ姿の異形。

灰燕(カイエン):
ツーリスト。白銀の焔を従える、孤高の刀匠。刀剣と鋼の色を愛し、基本人間には興味が無い。人として危険なドS。
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 部屋の床に広がる色褪せた赤に、深い色の影が重なる。洋燈の光に照らされ、影の持主の右目に掛けられたモノクルが、一度強い輝きを放った。
「あの時の考察の答えを、今此処でお話ししましょう。聞いていただけますね?」
「ええ。もちろん、聞かせていただきますわ」
 漆黒と深紫が柔らかく細められる。二色の視線の先で佇む女もまた、その美しい貌に優雅な笑みを浮かべて頷いた。誰にも等しく降り注ぐ光は、女の中指に嵌められた指輪をも照らし出し、輝かせる。
「この事件は、現実に起こったものです。決して、映画などでは無い。銀幕の殺人鬼も、この街ではただの美しい女性だ。――その逆もまた、然り」

 窓の向こうでは、燃える茜に染まった空が、微かに傾き始めている。
 地平の果てから迫って来るのは――淡紫を纏って美しく誘う、逃れようの無い宵闇だ。
 



「……おや」
 京秋はホールの階段を登りかけていた足を止め、物珍しげな声を上げると、薄い唇に静かな笑みを浮かべた。踊り場に立つ一輪の華へ向けて、恭しい会釈を送る。
 声に振り返った華はたおやかに首を傾げ、輝く瞳と見惚れる様な微笑みを京秋へと返した。
「奇遇ですね、ハンフリーさん」
「御機嫌よう、探偵さん。――わたくしを捕まえにいらしたのかしら?」
「……辛辣だ」
 モノクルの奥の瞳を眇め、京秋は苦笑する。「あの時の事は、未だに申し訳なく思っているのですが」彼の向く方向とは逆さに伸びる淡い影が、一度色を深めてぞわりと跳ねた。
 華――ヘーゼル・ハンフリーは一連の様子を眺め、ハシバミ色の瞳に謎めいた輝きを湛えたまま口元に手を宛てて微笑う。
「冗談ですわ」
「ならば良かった」
 彼女の細い肢体を飾るドレスは、ごくごく薄い紫色を基調としている。赤い絨毯の上でふわりと広がる裾が、地面に向けて柔らかく咲き誇る藤の花を連想させ、見る者の目に美しい。前回の雨天下の白いワンピースもあえかで美しかったが、今日の、黄昏が迫る窓の傍に佇む薄紫もまた違った美しさがある。
 以前の雨の下での邂逅は、京秋にとっては苦々しい記憶だった。彼女や、その隣に居た男にとっては興味深い出来事の一つに過ぎないのかもしれないが、京秋――そして彼と行動を共にしたもう一人の探偵にとってもそうだろう――にとっては、彼らに申し訳ない想いは尽きない。何せ、『映画の設定』というただそれだけの理由で、彼らを疑ってしまったのだから。
――そう、映画の設定。
 京秋の視線の先で微笑む彼女は、『殺人鬼』であった。
 『此方側』で目立った罪を犯していないのだから、過去形で表現するのが妥当だろう。それだけで彼らを疑ったのは、熟慮を主義とする探偵にしては早計に過ぎた。
「それに、わたくしはあの一件に感謝してさえいますのよ。その御蔭で、貴方やもう一人の探偵さんにも出逢う事が出来ましたもの」
「恐縮です」
 幼子の様に無邪気で、それでいて謎を纏う美しい微笑に、京秋は微笑を以って返す。
「――貴方も、招待を?」
「ええ。探偵さんもその様ですわね」
 主語を廃し、必要な言葉だけを唇に乗せる。聡い淑女はそれだけで京秋の意図を読み取り、笑みを絶やさぬまま優雅に頷いて見せた。
 一週間前に突然届いた招待状は、この洋館での一夜のパーティへと彼らを誘った。洋館の住所にも招待主の名にも覚えは無く、何故招待を受けたのかも判断が付かぬまま、しかし二人はそれぞれの思惑に従って此処へ訪れた。
 彼らが見下ろす階下のホールでは、受付処理を無事に済ませた招待客達がめいめいに寛いでいる。肩にバッキーを乗せた市民から明らかにこの国の人種ではない者、大人から子供まで様々な姿が在り、客層に偏りは見られない様だった。
 決して広くない銀幕市とは言え、招待主はランダムに招待状を送ったのか。それとも、――京秋の知らない所で、全ての客に繋がりがあるのか。
 否。京秋は小さく呟いて、首を横に振った。それは今の少ない情報では判断しきれないし、考えても詮無き事だ。
「どうかされたのかしら、探偵さん?」
「いえ……どうにも考え過ぎる癖があるようだ。探偵の性ですかね」
「まあ。素敵ですわね、わたくしにもその推理を聴かせていただけるかしら」
「ただの終わりなき考察ですよ。答えが見つかってから、またお話ししましょう」
「楽しみにしておりますわ」

 優雅にして豪奢な晩餐会が終わり、二人はホールのテーブルに向かい合って座っていた。探偵が経験した様々な事件を滑らかな言葉を以って語り、淑女は微笑んでそれを聴いている。絵画と呼んでも差し支えない美しい光景に、穏やかなバリトンの声が乗せられる。まさしく、映画の一場面の様だった。
 隣の――とはいえ充分な距離が在るが――テーブルには若い姉弟が座り、真剣だが楽しそうな様子でトランプに興じている。この時代の娯楽には疎い京秋だったが、語り続ける口は止めないまま、時折彼らに目を向けてはその仲睦まじさに笑みを零した。テーブルの上には淡い桃色の夢の獣が座り込み、カードを繰る姉弟の手を交互に眺めては目を回している。その様子もまた微笑ましく、同じ様に姉弟を見守っていたヘーゼルと笑みを交わす。
「――もし、」
 彼らが眼を向けていたのとは反対側から、穏やかな声が落ちる。
「……何か?」
 振り返った京秋の異色両眼が、背の高い青年を捉えた。青年は軽く会釈をし、突然すみません、と眉を下げて笑う。人好きのする、柔らかな表情だ。京秋は訝しげな視線を解き、青年が言葉を発しやすい様にしてからその先を促す。
「おふたりは、『ムービースター』でしょうか?」
「……ええ。そう分類される様です」
「よかった」
 淡い栗色の髪は柔らかく波打ち、その白い頬を彩る。漆黒の夜を想わせる、けれど広く豊かな瞳は、溌剌として理知的な光を湛えていた。若さに溢れたしなやかな獣を連想させる、快活な青年だ。
「僕は探偵の天色 要(あまいろ かなめ)と申します。『薔薇の埋葬』と言う映画から『実体化』した、ムービースターです。どうも、このパーティにはムービースターが少ない様で……寂しく感じていた所でした。相席しても、よろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
 ヘーゼルが一度京秋へ目を向け、拒否の色が無い事を伺うと、微笑んで頷く。青年はあからさまに安堵した様で、ありがとうございます、と弾んだ声で返すと、一人分開けた京秋の隣へと腰掛けた。
「失礼ですが、お二人のお名前を伺っても?」
「わたくしはヘーゼル・ハンフリーと申しますわ」
「――吉野。吉野京秋です」
 小さく微笑んだ青年が再び会釈をしたから、京秋はそれにつられて軽く頭を下げる。しかしその眉間には皺が寄せられたまま。押し黙ったまま、漆黒の探偵は静かに考えを巡らせる。青年が先程何気なく口にした言葉が引っかかり、京秋の思考を崩した。京秋はそれに苛立つでもなく再び拾い上げて、慎重に纏めていく。
「……ムービースターが少ない、と?」
「ええ。どうやら、僕とあなた方と……ごく僅かの様です」
「ふむ。……見境無く集められている様に見えますが」
「でしょう? この街には外国の方も多いですからね。こうして身なりを整えてしまえば、明らかに異形のスターでない限りは解らないものです」
 二人の探偵のやり取りを静かに聴いていたヘーゼルが、笑みを浮かべて首を傾げ、口を挟む。その美貌に浮かぶ笑みは、夢を見る様な、けれど現実を謡い上げる様な、表裏共に美しいものだった。
「……では、どうして天色さんはわたくし達の事をスターだとお思いになったのかしら?」
「簡単です」
 青年探偵は首を傾げ、溌剌とした声で語り始めた。ぴん、と人差し指を立てて、堂々と胸を張る。
「第一に、吉野さんの瞳の色。食事の時、僕とあなた方と向かい合って座っていた事に気が付いていましたか?」
「ええ、いらっしゃいましたね」
「その際、あなたの左目が洋燈の光を受けて紫に輝いたのを目撃しまして」
「……ほう」
 瞳の色など、己自身では確認が出来ない。向かいに座る淑女に目線で問えば、ミステリアスな微笑みだけが帰って来て、京秋は苦笑した。
「疑い――この場合は期待、でしょうか。それを持ちまして、第二に」
 ぴ、と続いて中指を立てる。笑って首を振れば、青年の両耳からぶら下がるピアスが軽やかに揺れた。京秋のモノクルをかけていない方の瞳がそれを捉え、白銀で出来た精巧な薔薇の形をしている事に気付く。
「とても単純な事です。――僕はあなた方の映画を、見た事があった」
「まあ」
 くすり、と誰かの笑みが零れた。
 青年は奇術師の種明かしにも似た、悪戯で自信に満ちた表情で首を傾げ、ヘーゼルはそれに応えて魅力的な微笑を浮かべ、京秋でさえ肩を竦める。
「『雄弁なる瞳』に、『トレイサー』。間違いありませんね?」
「ええ、その通りですわ。よく御存知ですのね?」
「隣人の事も少しは勉強しなければなりませんから。沢山の映画を観ました。その中に、あなた方の映画が在った。ただそれだけです」
「良い心掛けですね」
「ありがとうございます」
 夜の涼やかな空気に包まれ、和やかな会話が流れる。
 やがて隣のテーブルについていた姉弟も彼らがムービースターであると言う事に気付き、談笑の輪は更に広がっていく。桃色のバッキーを肩に乗せた姉は、『薔薇の埋葬』『雄弁なる瞳』のトリックの鮮やかさ、殺人鬼の美しさについて――本人を前に、夢見心地で語った。興味の無さそうな――実際映画も見た事が無いらしい弟は脇に追いやり語り続ける少女にも、ヘーゼルは笑顔で応じる。

「吉野さん」
「……何か?」
「気付いていますか?」
 二人の女性の華やかな談笑を横目に、二人の探偵が気難しい顔を突き合わせて語り合う。何とも地味な光景だなと自嘲しながら、漆黒の探偵は顎に手を宛て熟考した。
「……主催者の事ですか」
「ええ。……今に至るまで、一度も姿を見せていないのはおかしい。そう思いませんか?」
 青年がスーツの袂に手を入れ、一枚の書簡を取り出す。厳格さと優美さを兼ね添えた筆致のそれは、彼らをこの館へと誘った張本人、招待状に他ならない。奇術師の様な軽やかな手つきでそれをくるりと回して見せた後、京秋へと差し出した。
「確かに、奇妙ではありますが」
 青年の深い瞳を見返しながらそれを受け取り、慎重に言葉を紡ぐ。その点については、彼自身も疑問に思ってはいた。彼らに仰々しい招待状を送って寄越した人物、『Bernard Celestian』。書簡には確かにその名が刻まれているが、京秋には――否、恐らくはこの館に招かれた全ての客もそうなのだろうが――、全く覚えが無い。
「考え過ぎではないでしょうか。何が起こると示唆されている訳でもない、それなのに疑って掛かるのはどうかと」
「そうですね、確かにそうだ」
 青年の瞳は変わらず揺るぎない漆黒で、京秋は口端を皮肉に持ち上げた。
 見抜かれている。
 本当は、京秋こそ何もかもを疑っているのだと言う事を。
 殺人事件には御誂え向きな『洋館』と言う舞台、姿を見せない主催者など不気味に過ぎるし、招待状の文面も表向きこそまともだが、その背後に途方も無く不穏な物を感じさせる。この状況で疑うなと言う方がおかしい、と本当は判っている。――しかし。
「……確かに、早計は取り返しのつかない間違いを招きます。けれど、御存知ですか? 『探偵』は事件を解決はしても、未然に防ぐ事は出来ないものだ、と言う事を」
 顎に手を宛てたまま、青年の言葉を静かに聞き届けて京秋は微かに、頷きとも取れる仕種で俯く。
「肝に銘じておきましょう」
 少女の無垢な憧憬を乗せた、明るい声が響き渡った。

 廊下の突き当たりに面する大窓から、朝特有の輝きを含んだ淡い光が差し込む。硝子を擦り抜けて廊下を照らす銀の陽射しと、天井に等間隔に備え付けられた洋燈が控え目な光を放つ中、ヘーゼルは足を進めていた。
「わざわざ付き合ってくださって、ありがとうございます」
「いいえ、構いませんわ」
 彼女の傍らには、昨夜出逢った少女。恥かしそうに俯き、時折ヘーゼルに視線を移してはすぐにまた目を逸らす。たおやかに微笑む彼女の傍で少女は、そんな落ち着きの無い言動を繰り返していた。
「弟さん、朝は早いのかしら?」
「あ、いえ、休みの日はお昼過ぎまで寝てる事もよくありますから」
 可愛らしい、と微笑んだヘーゼルが声をかければ、小動物の様に慌てふためいた少女が問いに答えを返す。
「まあ、それでは……無理に起こしてしまうのは悪いのではないかしら」
「うーん、そうなんですけどね……」
 顎に手を宛て、少女は細い首を傾げた。それを追う様にヘーゼルも首を傾げ、言葉の続きを待つ。
「……説明できないんですけど、なんとなく。起こさなきゃいけない気がするんです」
「女の勘、ですわね」
「姉の勘、と言うべきかもしれません」
「まあ」
 くすくす、と二人は笑い合った。十ほど年が離れている筈なのに、ヘーゼルの優雅ながらも無邪気な言動が、まるで彼女達が同年代の友人であるかの様に錯覚させる。朝の柔らかな陽射しが、彼女達を洗い染め上げる様に包み込んでいった。
 少女の弟の部屋は、突き当りの角を曲がった先、三つ目の扉に在る。
 陽射しに照らされながら二人は、扉の前へと辿り着いた。密やかな少女たちの談笑は、ドアノブを回す微かな音に掻き消される。
かちゃり、と普段は気にならない程の小さな音でさえ、その先に在る異変を悟らせる重みを含んでいる。過敏な少女と聡い淑女はそれに気付き、同時に笑みを鎮めた。
「……幸人?」
 少女が弟の名前を声に乗せる。しかし、少年が居る筈の部屋からは、何の応えも無い。掴んでいたドアノブに軽く力を込めて押せば、扉は抵抗一つ見せず内へと開かれた。鍵一つ、掛かっていない。
 おかしい。
 異変を恐れて硬直した少女の代わりに、ヘーゼルが扉を更に押し開く。
 拍子抜けするほどの軽やかさで開かれた扉は、押し隠していたはずの、押し隠さなければならない筈の光景を、惜しげも無く彼女達の前に晒した。
「……ゆ、きと……?」
 ヘーゼルの隣で、震え、掠れる声が少年の名を呼ぶ。そして、――――

「――ッいやぁあああァあァッ!!!」

 絶叫が、上がった。


「皆さん。起こってはならない事が、起こってしまいました。我々の盟友である一人の少年が、昨夜沈黙の内に命を落とされたのです」
 どこか芝居がかった大仰な仕種で、青年探偵が声を張り上げる。食堂に集められた客達が、口々に騒ぎ始めた。
 京秋は顎に手を宛てながら、壁際に佇み黙考する。その視線の先では、未だに震えが収まらぬ少女の肩を、ヘーゼルが庇う様に支えていた。
「落ち着いてください。早急に手を打てば、これ以上の惨劇は免れる事が出来るのです!」
 再び張り上げられた青年の声に、食堂が一斉に静まり返る。青年は唇を吊り上げて笑みを燈し、漆黒の瞳で周囲を見回す。
「……幸い、僕にはもう犯人の見当は付いています」
 探偵のその言葉に、再び騒ぎが広まった。「落ち着いてください!」三度張り上げられる声を聞きながら、京秋は静かな瞳で状況を見極める。
 今、この場を演出しているのは、かの青年探偵に他ならない。彼の言葉一つで、場の人々は暴徒にも変わるだろう。微かな危惧を覚えたが、ただの一般客でしかない自分が異を唱えても無駄だと言う事も判っている。
「これをご覧ください」
 京秋が思考を巡らせる一方で、青年の一人芝居にも似た演説は続く。青年は長い腕を高々と掲げ、その手の先に在る一枚の布を示した。
「これは現場、高橋幸人氏の部屋に在った布と同じものです。別の部屋から拝借してまいりました。――哀れな少年は、これと同じ布を握り締めて亡くなっていました。……ダイイング・メッセージとみて、間違いないでしょう」
 聴衆がざわめき、少女の肩が強く震える。
 巧みな語り口だ、と京秋は独り冷静に評価を下した。聴衆の心を捕える方法を、よく理解している。
「では、少年は何を示したかったのか? ……僕は、この布が纏う色彩だと、考えています」
 青年の白い手に引っ掛かり、翻る生地は――穏やかな、自然の色。
 誰もが青年の言葉の意図を読み切れず、食堂は再び沈黙に囚われる。青年はその反応を予期していたのか、特に戸惑うでもなく、人の間をすり抜けて歩き始めた。
「吉野さん」
「……何か?」
 青年は京秋の前まで来ると足を止め、その手に持っていた茶色の布を彼に差し出す。京秋はそれを受け取り、青年の意図を把握しておきながらそらとぼけた。
「その布は、何色ですか?」
 ――矢張り、私に言わせるのか。
 内心で苦笑する。確かに、最も確実に容疑者を追い詰める方法だろうとは思うのだが。横目で少女を盗み見れば、震える瞳は、京秋が握る茶色の布を静かに見つめていた。その傍らに立つ女も同じく、普段から浮かべる笑みを静め、ハシバミ色の視線をこちらに向けていた。――そう、京秋の手に握られた布と同じ色の、視線を。
 京秋が視線を向けた一瞬、彼女は微笑んでいた。
 だから、敢えて京秋は青年の思惑に乗る事に決めた。
「茶色、ですね。……或いは、ハシバミ色と呼んでもいい」
「ええ、ハシバミ色。英語で言うならば――ヘーゼル、ですね」
 期待通り、とでも言うかの様に満足げに頷き、青年が言葉を続ける。そのまま徐に振り返り、ゆっくりと掲げた指でヘーゼルを指し示した。
 名指しされた女は、無垢な様子で首を傾げる。
「わたくしが殺したと、そう仰いたいのかしら?」
「そう言っているんです。……貴方は、映画では『殺人鬼』の役柄でしたね?」
「……天色さん。映画と現実を混同してはいけない」
 京秋の忠告も、青年は頷くだけで受け止める事は無かった。
「ええ、その通りです。……しかし、現にダイイング・メッセージは彼女を表している。おまけに彼女は事件の第一発見者だ。『犯人は必ず現場に舞い戻る』とも言いますし――死体を見てお姉さんが気を失った隙に、現場の証拠を隠滅したとしてもおかしくは無いですがね」
 水を打ったかのように、周囲が静まり返る。
 青年が再び口を開くよりも早く――鋭い破裂音が、炸裂した。肉を打つ、痛々しい音。
「あんたが、やったのね……!」
 震えるほどの怒りが籠められた、声。
 眉を顰める京秋の視線の先で――被害者の姉である少女が、ヘーゼルの頬を強く張り飛ばしていた。
「弟を返してよ……ッ! この、――ひとごろしッ!!」
 掌を返す、とはこの事を云うのだろう。
 手酷い罵りを受け、それでも『人殺し』と呼ばれた女はたおやかに微笑んでみせた。

 騒動の末、対策課が到着するまでヘーゼルは彼女の部屋へと軟禁される事となった。殺人鬼への対応にしては、紳士的で冷静な対処だ。
 彼女の部屋の前に立った京秋は、扉を二回叩く。
「どうぞ」
 中から聞こえた声に、借り受けた部屋の鍵を使用して扉を開いた。
「お待ちしていましたわ、探偵さん」
 京秋を招き入れ、殺人鬼と呼ばれた女は優雅に微笑む。探偵は感謝の意を示して会釈を返し、足を踏み入れると後ろ手に扉に鍵をかける。本来女性の部屋へと踏み込むのは礼儀が成っていないが、今回ばかりはそう言っていられない。テーブルを挟んだ向かいに腰掛け、京秋は口を開いた。
「幾つか、お話を聞かせていただいても構いませんか?」
「その必要は、ありません」
「……ほう?」
 その言葉に京秋が形の良い眉を跳ね上げ、黒紫とハシバミ色の視線が交差する。絹糸の如き金の髪を軽やかに揺らし、女は微笑んだ。
「貴方は既に真実を掴んでいらっしゃるのでしょう? わたくしから聞き出さなければならない事など、ひとつも無いのではないかしら」
「……全て、御見通しですか」
 降参だ、とばかりに京秋は両掌を開いて見せる。それは何処か、奇術師が種を持たぬ事を示す仕種にも似ていた。
 確かに先程『質問がある』と言ったのは、彼女の部屋を訪れる為の口実に過ぎなかった。この部屋へは、真実をより確実にする為に、或る事を確認しに来ただけなのだ。
「信頼を置いている、と言う事でもありますわ」
「嬉しいお言葉ですね」
 容疑を掛けられている筈の女は、穏やかに小首を傾げて言葉を続ける。
「事件を解決するのは、探偵さんにお任せします」
 捉える手をすり抜けていく蝶の様に、ふうわりと掴み様の無い微笑み。それを首肯で受け流して、二色の瞳に真摯な色を湛えると、京秋は女を見た。
「ええ、確かにそれは私の仕事でしょう。……しかし、最後の一手をお持ちなのは、貴方だ」
「そうかしら?」
 また、あの輝く瞳で首を傾げる。無垢なその色は鮮やかで、裏に深いものを感じさせながら――それすらも美しい、と思わせた。しかしその微笑みに悪戯な色が含められている事に、京秋は気が付いていた。
「探偵さんは、わたくしが罪を犯したとは思っていらっしゃらないのね?」
「ええ、今の貴方は銀幕の住人ではありませんから。――それに」
 京秋の瞳がすい、と下がったのに気付いて、ヘーゼルもそれを追って己の視線を落とす。
 二つの視線の先には、殺人鬼の中指に輝く、冷たい光。
「貴方に血は似合わない。貴方に似合うのは、その美しい色です」
「嬉しいお言葉ですわ」
 柔らかな金髪を揺らして微笑む、その姿は矢張り美しかった。中指で煌く銀色と同じ様に。
 ヘーゼルが立ち上がり、淡い紫のドレスを翻して窓辺へと歩み寄る。
「――そう言えば、探偵さんに見ていただきたいものが――」
 窓の外、弱まり始めた陽射しを眺めながら、期待に声を弾ませ語る。しかしその言葉も、背後で上がった微かな――衣擦れと呼んでもいい、微かな音に遮られた。
「……探偵さん?」
 徐に振り返った彼女の視界に、既に漆黒の男の姿は無い。扉を開閉した音はおろか、立ち上がった気配一つ感じられなかった。まさしく『消失』と呼ぶべき唐突さで、先程まで会話を交わしていた探偵が、消えた。
「……?」
 首を傾げたヘーゼルが足を一歩踏み出したと同時、カン、と部屋の扉が一度叩かれる。
「――どうぞ」
 今の自分に入室を拒否するほどの権限は無い様な気もしたが、別段その理由も無い。応えれば、恐る恐るとも取れる様子で扉が開かれた。
 扉の隙間から顔を出した男性――ホテルの給仕だろう――に微笑みかけ、傷つける意志は無い事を伝える。笑みに絆されたのか、給仕は扉を離れてテーブルへと近付いた。その手には食器の乗せられた盆を危なげなく持ち、陶器の高い音を立ててテーブルの上へと置いていく。
 ヘーゼルは透明な笑みを浮かべたままそれを見守り、何気ない動作で給仕の背後へと歩み寄る。
「給仕さん」
 声を掛ければ、驚きにその身を竦めるのが判った。
 右手を静かに握り締め、中指の背に在る金属の感触を確かめる。左手は給仕の首を触れない様にして覆い、くすりと笑みをその耳に届ける。
「わたくしの『映画』を、御存知かしら?」
 答えを待たず、項に指の背を宛てた。中指に嵌められた指輪、その隙間から飛び出した針から、小さく鋭い手応えを覚える。悲鳴一つ立てずにテーブルへと突っ伏した男を見下ろし、直ぐ様身を翻して扉へと向かった。

 窓から差し込む黄昏が、静かにその色合いを深めていく。琥珀の色が部屋へと忍び寄り、徐々に侵食を始めた。
 青年はそれを見下ろして、漆黒の瞳を剣呑に細める。その眼は凍り付いた湖面の様な怜悧な色を浮かべ、忙しなく床の上を滑っていた。
 窓際に足を進めれば、忍び寄る黄昏が青年を照らし出す。纏わりつく暖かな色彩に、しかし彼は眉を顰めた。
 黄昏は、全てにおいて曖昧だ。明確な光の射す昼と、何もかもを隠し通し抱擁する夜、その境で移ろうだけの時間。それを『美しい』とは、彼にはどうしても思えなかった。
 再び一歩、足を進める。途端、

 ぞわり。

 背筋を駆け抜ける悪寒、それと共に青年の足元に伸びる影が、強くざわめいた。
 穏やかな光が造り出した、淡い影が色を深める。
そのまま、青年の見ている中で影は、自然の摂理に逆らって立ち上がった。翻る布の様に不定形に歪んだそれは一度、逆三角の――翼を広げた猛禽にも似た形を取り、吼え猛るかの如くに天へと伸びる。
「噫……」
 知らぬ内に、青年の口から感嘆の声が零れた。
 圧倒的な膨張を見せた闇が、緩やかな収束を見せる。青年よりやや低い程度の細長い形を取ると、それは瞬きの間に色を為した。
「御機嫌よう。良い黄昏だ」
 右目に掛けられたモノクルが、鈍い光を反射して煌めく。優雅なチェロの独奏に似た、深い声。漆黒の中から姿を見せた探偵は、落ち着き払った、意味深とさえ取れる笑みを浮かべていた。青年に言葉を発する事を許さない、密やかな気迫を伴って。
「そんなに驚く事は無いと思われますがね? 私の映画を御存知ならば」
 くすり、と笑みを落とした男の言葉に、青年はようやく、強張っていた口元を無理に緩めた。引き攣る様な笑みながら、僅かに落ち着きを取り戻す。
「……どうして、此処へ?」
 探偵――京秋は微笑むと、肩を竦めてみせた。
「私も探偵です。現場を調べたいと思っても、不思議では無いでしょう?」
 京秋は視線を一度部屋の床――一面に散る血溜りへと向け、再び青年へと移した。
「成程、僕と同じだ」
 果ての見えない二色の瞳に、呑み込まれてしまいそうな錯覚。
 探偵が小さく頷けば、右目のモノクルが再び光を受けて煌めく。
「そう。……そして、貴方にも少しばかり話を伺いたかったので、丁度良い」
「こちらにいらっしゃったのですね」
 不意に新しい声が加わり、青年は背後を振り返った。漆黒の瞳を驚愕に見開き、引き寄せられるように一歩、そちらに歩み寄る。
 部屋の入り口で、淡い紫の色をした華が咲いている。
「貴方は……どうして、此処に」
「探偵さんが、お話の途中でいきなり居なくなられたものですから。探しに参りました、ただそれだけですわ」
 藤色のドレスを纏ったヘーゼルは首を傾げ、当然の事、と言った様子で青年に応じた。微笑みを絶やす事無く、しかしどこかで追及を許さない鋭さを含んだ言葉。
 ハシバミ色の瞳は青年の背後、宵闇の色を纏う探偵を捉えている。探偵は肩を竦めて微笑を返し、
「申し訳ない、どうしても彼に確認しなければならない事が出来たもので」
「構いませんわ。こちらでお話の続きを聞かせてくれるのでしょう?」
「もちろん。……天色さん、構いませんね?」
「……え、ええ」
 穏やかだが有無を言わさぬ口調で青年へ問い掛けた。柔らかな気迫に気圧され、青年は微かに口籠りながらも首肯する。京秋も一つ頷いて返し、「では」と切り出した。
「先程は、天色さんの見事な推理を聞かせていただきました。――ここからは、私の推理を聴いていただけますね」
 そう言うと、手を胸元に宛て、優雅に一礼をする。二人の観客は――或いは、片方は探偵の相手役として、既に架空の舞台上に居たのかも知れないが――それを、沈黙を以って受け容れた。
 薄紫が静かに迫る黄昏が、部屋を静かに照らし出している。

「推理小説では、よく不在証明――アリバイの話が語られますが、」
 穏やかだが淡々としたバリトンが、張り詰めた空気を揺るがしていく。一旦言葉を切ると、京秋は青年へと視線を向けた。
「完全犯罪は、アリバイを必要としないものです」
 漆黒と鮮紫の異色両眼は、射抜く様に目の前の青年を捕えて離さない。「推理小説や、ミステリー映画とは違うのですよ」ミステリー映画から実体化した、『探偵』を。
「今回の場合は犯行時間が深夜と言う事もあり、ほとんどの人間にアリバイが出来ない事は容易に想像が付いた。それに、出来る限り沢山の人間を集めれば、それだけ容疑者を増やす事が出来るわけですからね。……だから貴方は、無差別に沢山の人間をこの館へと招いた。そうですね、――天色要さん?」
 青年は、自分の名前が出た瞬間一度反応を返しただけで、それ以外は人形の様な無表情を貫き、探偵の言葉を聴いていた。
 ハシバミ色の瞳を無垢に輝かせて、殺人鬼であった女が口を挟む。
「探偵さん。……では、この方が?」
 漆黒の探偵は微笑んで、頷いた。視線を向けられたままの青年は、表情を浮かべぬまま京秋を見据え返す。
 深く息を吸いこめば鉄の匂いが香り、昨夜の惨劇がまざまざと蘇る様だ。死体の姿こそみられないが、床を彩る黒々とした赤は、確かに此処で人の命が喪われたのだと探偵に語りかける。
「ええ。この館の支配人、『Bernard Cerestian』でしょう。――そう考えれば、支配人が一度も姿を見せなかった事も頷ける。そんな人物は、存在しないのですから」
 それに、と息つく間も与えずに探偵は続けた。
「Celestianは、日本語に訳せば――空」
 青年が、栗色の眉を小さく跳ね上げる。その黒い瞳の奥に広がるのは、底の無い夜空。月の無い夜は苦手だ、と京秋は苦笑し、暗闇を内包する青年の名を呼ぶ。
「天色さん。……貴方の名前と同じ、天空ですね」
「Celestial Blue、ですわね」
「ええ。美しい、良い名です」
 臆面も無く口にした称賛に、青年ははにかんで応えた。
 カツリ、と革靴の音を立てて、京秋は一歩を踏み出す。ヘーゼルへと視線を向け、たおやかに微笑む彼女に穏やかな笑みを返した。
「そう、セレスティアル・ブル―。――天色は、青を指す言葉です。漢字を見れば、容易く想像出来る事だ。……しかし、それを出来なかった人物が、存在する。譬えば、被害者となった少年。彼は、貴方の名を聞いてはいるが、文字として見てはいない。……アマイロ、と音だけで認識してしまえば、それは青では無い。もっと我々に親しみ深い、馴染みの在る色です」
 乾き切った血溜り。惨劇で描かれた偶然の絵画の隣に、無造作に放り出された淡い栗色の布を、京秋は手に取った。屈んだ拍子に鉄錆の匂いが強く鼻腔を打ち、眉を中央へと寄せる。しかし、再び顔を上げた時には、真摯な異色両眼の輝きだけを残して表情を消していた。
「我々は、淡い茶色の事を『亜麻色』と呼びますね。……天色さん。貴方の名前と同じ、響きだ」
「偶然でしょう」
「いいえ」
 青年の何気ない否定を、強い語調を以って制する。
「ちょうど、貴方の髪も似た様な『亜麻色』だ。貴方の名を聞き、こちらの色を連想するのは至極当然の事だと思いますがね。事実、私もそうでした。招待状を見せていただいて、驚いた程ですから」
 顔の前に掲げていた亜麻色を手離し、緩やかな軌道を描いて落下していく布を見つめた。燻る熾火に似た昏い昏い紅の中に落ち、動きを止めた亜麻色を見下ろして、探偵は再び糾弾を開始する。真綿で首を絞める様に、緩やかに、緩やかに、けれど逃さない様に、峻烈に。
「被害者が日本人であった事も含めて、ヘーゼル・ハンフリーの『ハシバミ』色よりも、天色 要の『アマイロ』の方が自然だと、そう思いませんか?」
「かもしれませんね」
 しかし、青年も強かである。この期に及んで、微笑む余裕すら見せたのだ。
「……けれど、譬えそちらの方が自然に見えたとしても。証拠がないのなら、僕がやったと証明する事は出来ないのではないでしょうか?」
「証拠」
「ええ。僕がやったという、明白な証拠です」
「……ひとつ、お聞きしますが」
 漆黒の探偵はあくまで優雅に、次の手を示した。射抜く様な視線は相変わらず、しかしその口元には余裕とも取れる微笑が浮かんだまま。
「その、左耳。怪我をされている様ですが……どうされたのですか?」
「――ッ」
 弾かれた様に、青年が左耳を抑える。
「確か、昨日は両耳にピアスを付けていらしたように思うのですが」
 モノクルの奥に隠れた瞳が、黄昏の光を受けて不穏に煌めく。
「『犯人は必ず現場に舞い戻る』――とは、貴方の言ですが……私もあながち間違いでは無い様に思います。現場に残された犯行の足取りを、隠滅しに現れるのでしょうね」
 謳う様に滑らかな、深い深いバリトンは止まない。思わず聞き惚れてしまうほどに美しい、まさに語って聞かせる為に存在するかの様な響きの良い低音は、探偵としては最高の物であろう。
「では、貴方は? 貴方は何故、この場に姿を見せたのですか?」
 その言葉は問いかけの形を取ってはいたが、しかし答えを求めている訳では無いと、傍で聞き続けるヘーゼルの耳にも判った。
「僕は……」
「ピアスを探しにいらしたのでしょう? ――被害者に引きちぎられた、その左耳の」
 青年が言葉を喪い、唇を噛み締める。
「恐らく、犯行時の暗がりでは小さな落し物を探す事は出来なかったのでしょう。そして、ただピアスが取れただけであれば、違う物を付けて誤魔化せばいい。それが出来なかったのは、耳に怪我を負ってしまったためです。……いずれにせよ、貴方は此処へ再び訪れなければ無かった。落としたピアスを探す為に」
「……机上の空論ですね」
 耳から手を離し、幾分か落ち着きを取り戻した青年が言葉を返した。京秋は片眉を小さく跳ね上げて、無言で続きを促す。
「確かに僕は、ピアスを落としました。歩いている時に引っかけて、千切ってしまったようです。……しかし、それは此処では無い。現に、この部屋の何処を探してもピアスの一つも発見出来なかったのですから」
「ほう」
「……そう言う事、でしたのね」
 ぽつり。独り言に近い、小さな声が落ちた。
「その、ピアスですけれど」
 探偵の背後から投げかけられた声。優雅で美しいそれに、京秋は徐に振り返る。
 緩やかに首を傾げたまま、微笑んだヘーゼルは無邪気に、名と同じ色の瞳を輝かせる。その悪戯な輝きから天敵である亜麻色の髪の女を不意に思い返して、京秋は僅かに苦笑を浮かべた。
「これではないかしら?」
 快活な声で問うヘーゼルの右手に、一片の白い光が煌めいている。純銀の薔薇を模した、小さな小さな装飾品。
「ハンフリーさん、それは、この場所で?」
「ええ。今朝でしたかしら、皆様が集まる前に見つけました。美しかったので、思わず」
「……勝手に現場を荒らすのは感心しませんね」
「申し訳なく思っていますわ」
 そう謝りながらも、その美貌に変わらず浮かぶのは、蕩ける様なたおやかな微笑み。京秋は深く息を吐きながら、仕方が無いと苦笑した。何にせよ、これで手札は出揃ったのだから。
 京秋が手を差し伸べれば、ヘーゼルは的確に意図を汲み取ってピアスを手渡す。拉げた金具が、強い力で無理に千切られた事を物語っている。
「……それが何処に落ちていたのかなんて、幾らでも偽れる。明白な証拠とは成り得ないと思いますが」
「…………おや」
 青年の反論を受け流し、白銀の薔薇を眺めていた京秋が微かに眉を顰めた。それにつられて、ヘーゼルも探偵の手元を覗き込む。
「この薔薇、微かに黒ずんでいますね。これは――」
「血、ですわね」
「ええ」
 白々しい程に明白なやり取り。
 黄昏の光を受けて探偵のモノクルが冷たく煌めき、その奥の黒紫の瞳が再び青年へと向けられた。
「――……」
 まるで踊るかの様に優雅な仕種で、手を広げて惨劇の残滓を指し示す。
「これだけの出血だ、被害者は血の出る場所を手で抑えようとしたでしょう。そうなれば、手も血に塗れるのは当然。実際、布を握り締めていた少年の右手は血に塗れていた――君のピアスを引き千切ったのも、そちらの手だったのだろう」
 乾いた赤に彩られた白銀の薔薇を持ち主の方へ差し出して、探偵は語気を強めた。
「そして、どうも『今』の技術では、少量の血液からも持ち主が特定出来るようでね。……何なら、調べて貰おうか? 君のピアスから、誰の血が検出されるか」
 その口調に、最早同業者に対する敬意は感じられない。犯人を追い詰める探偵、或いは獲物を追い詰める猛禽さながらの、鋭い言葉。鋭い視線。
 息も詰まるかの様な沈黙が落ちる。
 直後、舌を鋭く打った青年が身を翻し、扉へと駆け出した。しかし、唐突な行動に慌てる者は、この場には居ない。
「――無様だ」
 昏い断罪の声。
 それと共に、探偵の足元の影が揺らぐ。
 そして、彼の背後――ただ何も無い空間が広がる筈の場所から、漆黒の矢が一条放たれた。
 矢は過たず青年の、殺人者の身体を掠め、ズボンの裾を床へと縫い止める。尚も走ろうとした殺人者は、足をとられて前へつんのめり、滑稽にも倒れ込んだ。
「この期に及んで逃げようなどとは。君はそんな生半可な覚悟で人を殺したと言うのかね」
 放たれた矢は、紫に煌めく、黒い羽根の形をしていた。鋭いその切っ先が青年の足元を縛り、逃走を許さない。
 揺らいだ影は一度大きくざわめいた後、再び探偵のシルエットへと還る。その深い色彩に興味を惹かれたヘーゼルは、影の揺らぎを確かに認めていた。大きく膨張し、逆三角の形を取った影を。それは声を持たずに鋭く吼え猛り、翼を広げた猛禽の様とさえ思わせた。
「探偵さん、責めても仕様の無い事と思いますわ」
「……ほう?」
「あの方も探偵ですもの。人を殺すのは初めてでしょうから」
「……慣れてもらっては困りますがね」
 溜め息を零して苦笑を浮かべ、京秋は未だに抜け出そうともがいている殺人者の元へと歩み寄った。
「君が何を思って人を殺したのか、私は知らない」
 身に付けていたループタイを外し、その頼りない紐を利用して青年の両手を戒める。青年は懲りずに抵抗を試みたが、見えない『何か』に阻害されているかの様に悉く動きを抑制され、それは叶わなかった。
「だが、最早その必要もないだろう。君が罪を犯した、その事実さえあればいい」
 その言葉は決して返答を求めている訳では無く、ただの独白にも等しかった。
「さあ、立ちたまえ。君は罪を償わなければならないのだから」
「――探偵さん」
 青年に立ち上がる様促した京秋を、ヘーゼルの声が遮る。日常会話でもするかの様な軽やかな声音で、変わらず彼女は笑みを浮かべていた。
「……何でしょうか?」
「そろそろ、給仕さんが起きて来られる時間ですわ。待っていれば、此処へも人が来るのではないかしら。わたくしを探しに」
 訝しげに眼を遣った京秋に、右手を口元に宛てヘーゼルは微笑んでみせた。その中指で、黄昏の光を受けた銀が燃える様に煌めく。
 呆れた様に、或いは感心した様に苦笑を零した京秋に、ヘーゼルは尚も夢見る様な口調で続ける。
「……『この街は、今までと違う人生が歩める街だ』と皆が言いますけれど……探偵が犯人となり、犯人が探偵となる事もあるのですわね」
 ヘーゼルの言葉に、京秋は一つ頷いた。
「この街は――映画では、ありませんから。決められた道を歩む必要はない」
「ええ」
 銀幕の名を冠した街は、しかし銀幕の中には無い。
 『探偵』が二色の瞳をヘーゼルへと向ければ、『殺人鬼』であった女は静かに微笑を返した。

 窓の向こうには既に、艶やかな紫を纏った漆黒の闇が広がっている。

 

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